秋田実季(読み)あきたさねすえ

改訂新版 世界大百科事典 「秋田実季」の意味・わかりやすい解説

秋田実季 (あきたさねすえ)
生没年:1576-1659(天正4-万治2)

戦国・江戸前期の大名。出羽国檜山(ひやま)城主安東愛季(ちかすえ)/(よしすえ)の第2子で,藤太郎などと名のる。1589年(天正17)居城を湊(秋田市土崎)に移し,秋田城介を名のり,以後秋田を姓とした。秋田,檜山,比内の3郡を支配し,翌々年豊臣秀吉より領国5万石余を安堵され,領国内設置の太閤蔵入地代官となった。1602年(慶長7)常陸国宍戸5万石に転封,30年(寛永7)伊勢朝熊に配流され,同地で死去した。
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関連語 信夫 渡辺

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「秋田実季」の解説

秋田実季 あきた-さねすえ

1576-1660* 織豊-江戸時代前期の武将,大名。
天正(てんしょう)4年生まれ。安東(秋田)愛季(よしすえ)の子。天正の末ごろ出羽(でわ)の秋田など3郡を領した。関ケ原の戦いで徳川方につき,慶長7年常陸(ひたち)(茨城県)宍戸(ししど)に転封(てんぽう),宍戸藩主秋田家初代となる。5万石。10年秋田城介(すけ)。のち失政を理由に伊勢(いせ)(三重県)朝熊(あさま)に蟄居(ちっきょ)を命じられた。万治(まんじ)2年11月29日死去。84歳。通称安東太郎

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世界大百科事典(旧版)内の秋田実季の言及

【秋田氏】より

…戦国末期に下国愛季(ちかすえ∥よしすえ)が出て,秋田湊,野代檜山のおのおのを拠点とする安東勢力を統一し,南は豊島郡から北は比内郡に及ぶ領国の支配を固めた。その子秋田実季(さねすえ)のとき,太閤仕置をうけ,5万2000石余を安堵され,太閤蔵入地として没収された旧領2万6000石余の管理も許可された。代々相伝してきた蝦夷地管轄の権限は蠣崎(かきざき)氏に替えられたが,この後,近世大名への脱皮に成功。…

※「秋田実季」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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