戸田忠恕(読み)とだ ただゆき

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸田忠恕」の解説

戸田忠恕 とだ-ただゆき

1847-1868 幕末大名
弘化(こうか)4年5月23日生まれ。戸田忠温(ただよし)の子。兄戸田忠明(ただあき)の跡をつぎ,安政3年下野(しもつけ)宇都宮藩主戸田家第2次6代。文久2年幕府から畿内(きない)各地山陵の調査・修復の許可を得,百余ヵ所を修理元治(げんじ)2年天狗(てんぐ)党の乱への出兵の遅れをとがめられ,謹慎を命じられるが,のち山陵修理の功でゆるされる。慶応4年5月28日死去。22歳。

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367日誕生日大事典 「戸田忠恕」の解説

戸田 忠恕 (とだ ただゆき)

生年月日:1847年5月23日
江戸時代の武士。宇都宮藩主;越前守
1868年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の戸田忠恕の言及

【宇都宮藩】より

…家老間瀬(戸田)忠至(ただゆき)は城下出身者蒲生君平の《山陵志》を受けて,山陵奉行の任にあたり,高徳1万石を分与された。64年(元治1)筑波山の水戸天狗党は家老県信緝(あがたのぶつぐ)(六石)らに宇都宮藩の同調を求め,県は拒否したが,藩士で加わる者もおり,藩主戸田忠恕(ただゆき)は謹慎,5万石に削封のうえ,いったんは陸奥棚倉へ転封を命じられた。68年(明治1)戊辰戦争では,新政府側についたものの,日光へ敗走する大鳥圭介らと新政府軍の攻防の舞台となった。…

※「戸田忠恕」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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