朝日日本歴史人物事典 「戸田忠恕」の解説
戸田忠恕
生年:弘化4.5.23(1847.7.5)
幕末の下野宇都宮藩主。越前守。宇都宮藩主戸田忠温の7男。江戸生まれ。兄忠明の死去により安政3(1856)年に10歳で襲封,7万7850石。文久2(1862)年山陵修理を幕府に建議。家老間瀬和三郎(のち下野高徳藩主,戸田忠至)らが,畿内の諸陵百余カ所を調査,修理を加えた。元治1(1864)年水戸天狗党の筑波山挙兵の討伐に出兵が遅れたため,幕府の嫌疑を受け,慶応1(1865)年隠居謹慎。養子忠友が2万7850石を減封されて陸奥棚倉に移封を命じられたが,同年10月山陵修理の完成の功績により,忠恕は謹慎を免され,戸田家は7万7850石に復されて転封は中止になった。戊辰戦争では,脱走した旧幕軍に城を攻略され,数日で奪回したが,直後に死去した。<参考文献>徳田浩淳編『史料宇都宮藩史』,『宇都宮市史』6巻
(根岸茂夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報