改訂新版 世界大百科事典 「戸田氏鉄」の意味・わかりやすい解説
戸田氏鉄 (とだうじかね)
生没年:1576-1655(天正4-明暦1)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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(長谷川成一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…美濃国大垣に藩庁を置いた譜代中藩。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦に際して大垣城をめぐる攻防は戦局に大きな影響を与え,大坂方は,岐阜城落城後一時大垣城を中心にして徳川方勢と一戦交える作戦をたてたとされる。その大垣城が関ヶ原の戦で徳川方に帰属し,翌年上総国鳴渡から石川康通が入部して5万石を領するに及んで大垣藩は成立した。その後領主の交替はめまぐるしく,大坂夏の陣の翌年の16年(元和2)石川氏は豊後国日田へかわって下総国関宿から松平忠良が入部。…
…ついで内藤信正を高槻に入れ(4万石),翌16年(元和2)には忠明の婿稲葉紀通を中島に封じた(4万5700石)。ついで17年には戸田氏鉄(うじかね)を尼崎(5万石)に,そして播磨には,小笠原忠真を明石に,本多忠政を姫路に,同政朝を竜野に入れ,大坂の西方摂津,播磨を譜代大名で固める方策を進めた。さらに17年に尼崎築城,高槻城修築,18年に播磨明石築城,姫路城西ノ丸諸櫓の構築を命じて,大坂の守りの一翼とした。…
…近世大名。正親町三条(おおぎまちさんじよう)家の支流ともいわれ,中世三河国の大族,戸田宗光より出る。宗光嫡流の康長は徳川家康から松平姓を賜り,所々に封じられて最後は信濃国松本城主となる(7万石)。その子の康直は播磨国明石城主に,次の光重は美濃国加納城主に,孫の光熙(みつひろ)は山城国淀城主に転封され,次の光慈(みつちか)は志摩国鳥羽城主,ついで1725年(享保10)に松本城主に移されて,以後明治に至った(松本藩)。…
※「戸田氏鉄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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