致事ともいい,官職を辞すること。これを〈骸骨を乞う〉ともいう。大宝選任令・養老選叙令によると,律令官僚は数え年70以上になると,致仕することがゆるされた。五位以上の貴族官僚は天皇に上表し,六位以下の下級官僚は太政官に申し牒(ちよう)して,太政官から奏聞(そうもん)する規定になっていた。具体的なケースをみると,764年(天平宝字8)正月,大宰大弐の吉備真備(きびのまきび)は,数え年70に達して致仕を上表したのであるが,まだ奏上されないうちに,造東大寺司長官に遷任を命ぜられている。また771年(宝亀2)に数え年70に及んだ大納言の大中臣清麻呂(おおなかとみのきよまろ)は,上表して致仕を願ったがゆるされず,774年12月,右大臣に昇進していた清麻呂は重ねて致仕を上表したが,またゆるされていない。ついで桓武天皇即位後の781年(天応1)6月,3度目の上表によって80歳で致仕を承認された。
執筆者:野村 忠夫 近世大名における致仕は2種に分類できる。一つは老年や病気によって奉公が十分できなくなって致仕する一般的な場合,もう一つは懲罰的な場合である。後者には,遊女との遊興が過ぎて1741年(寛保1)致仕させられた榊原政岑の例や,大老井伊直弼のやり方に反対して1858年(安政5)致仕に追い込まれた徳川慶恕(よしくみ)(慶勝),松平慶永(春岳)などの例がある。処罰の場合,原則として藩政には関与できないが,一般的理由なら,前藩主として時には藩政に口をはさむこともあった。初期には浅野長政のように幕府から5万石の隠居料を与えられ,子孫に相続させることができた場合,子の領地の一部を幕命によって分与された前田利常(22万石。死後藩主に戻された)の場合など,領地を与えられて老後の保障を受ける特殊な例もあったが,普通は藩主より年々一定の米金を受けて生活する。なお,堅苦しい藩主の地位から解放されて悠々自適の生活に入り,ことに観劇,園遊等を楽しむ余生を送った柳沢信鴻(のぶとき)のような人物もいた。
執筆者:上野 秀治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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