戸田重昌(読み)トダ シゲマサ

20世紀日本人名事典 「戸田重昌」の解説

戸田 重昌
トダ シゲマサ

昭和期の映画美術監督



生年
昭和3(1928)年2月3日

没年
昭和62(1987)年1月25日

出身地
東京都

別名
通称=戸田 重昌(トダ ジュウショウ)

学歴〔年〕
青山学院(旧制)卒

主な受賞名〔年〕
毎日映画コンクール美術賞〔昭和37年〕「切腹」,ホワイトブロンズ賞特別賞〔昭和37年〕「切腹」,毎日映画コンクール美術賞〔昭和39年〕「怪談」,ローマ国際映画祭美術賞〔昭和40年〕「怪談」

経歴
昭和37年の小林正樹監督作品「からみ合い」以来、奔放なイメージのセット・衣裳のデザインで活躍した。同監督の「切腹」(37年)「怪談」(39年)で、それぞれ毎日映画コンクール美術賞受賞。篠田正浩監督「乾いた花」、大島渚監督「愛のコリーダ」「白昼の通り魔」「戦場メリークリスマス」などにも参加した。小林作品「食卓のない家」(60年)が遺作となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸田重昌」の解説

戸田重昌 とだ-しげまさ

1928-1987 昭和時代後期の映画美術監督。
昭和3年2月5日生まれ。水谷浩,伊藤熹朔(きさく)に師事。小林正樹,大島渚(なぎさ),篠田正浩監督らの作品の美術監督をつとめた。おもな作品に「切腹」「怪談」「あかね雲」「戦場のメリークリスマス」など。昭和62年1月25日死去。58歳。東京出身。青山学院中等部卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の戸田重昌の言及

【映画美術】より

…また,ソウル・バスによるタイトル・デザイン,オート・クチュールの衣装デザイナーの協力などをどう位置づけるかもきわめて微妙であるが,映画美術の定義は現状では〈プロダクション・デザイナー〉,または〈美術監督〉としてクレジットされた者たちの仕事という範囲にとどまっている。日本映画においては〈美術監督〉という呼称すら定まっておらず,これまで〈美術監督〉の名で呼ばれたのは溝口健二監督《西鶴一代女》(1952)における水谷浩,同《雨月物語》(1953)における伊藤熹朔,大島渚監督《儀式》(1971),《戦場のメリークリスマス》(1983)における戸田重昌くらいである。さらに映画美術の具体的内容は時代や撮影システムによって著しく異なっており,現在でも《スター・ウォーズ》(1977)のプロダクション・デザイナーのノーマン・レイノルズと,《終電車》(1980)の美術監督コユト・ツベルコの仕事を同一の水準で論ずることは不可能である。…

※「戸田重昌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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