水谷浩(読み)ミズタニ ヒロシ

20世紀日本人名事典 「水谷浩」の解説

水谷 浩
ミズタニ ヒロシ

昭和期の映画美術監督



生年
明治39(1906)年1月17日

没年
昭和46(1971)年5月16日

出生地
岐阜県

学歴〔年〕
東京美術学校

主な受賞名〔年〕
日本映画技術賞(昭25年度)「偽れる盛装」,毎日映画コンクール美術賞(昭25 46年度)「偽れる盛装」「いのちぼうにふろう」,日本映画技術賞特別賞(昭46年度)

経歴
東京美術学校在学中に松竹蒲田撮影所に入り、昭和3年「陸の王者」のセットを担当。その後、日活、新興キネマなどで村田実、溝口健二、田坂具隆監督らと組んで多くの作品のセットを受け持った。戦前の作品には「祇園祭」「月よりの使者」「おせん」「桜の園」「愛怨峡」、特に14年の「残菊物語」、15年「浪花女」など溝口と組んだ明治風俗の粋をこらしたセットが有名。また物資不足の戦時下「元禄忠臣蔵」(16年)では江戸城松の廊下のセットを原寸大で作り評判となった。戦後も溝口作品の「夜の女たち」(23年)、「西鶴一代女」(27年)、「近松物語」(29年)、「楊貴妃」「新平家物語」(30年)などの大作のほか26年の「偽れる盛装」、46年の「いのちぼうにふろう」などのセットに力作を残した。平成2年映画殿堂入り。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「水谷浩」の解説

水谷浩 みずたに-ひろし

1906-1971 昭和時代の映画美術家。
明治39年1月17日生まれ。松竹蒲田(かまた),のち新興キネマなどで美術を担当。代表作に溝口健二監督の「残菊物語」「新平家物語」,吉村公三郎監督の「偽れる盛装」などがある。昭和46年5月16日死去。65歳。岐阜県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の水谷浩の言及

【映画美術】より

…また,ソウル・バスによるタイトル・デザイン,オート・クチュールの衣装デザイナーの協力などをどう位置づけるかもきわめて微妙であるが,映画美術の定義は現状では〈プロダクション・デザイナー〉,または〈美術監督〉としてクレジットされた者たちの仕事という範囲にとどまっている。日本映画においては〈美術監督〉という呼称すら定まっておらず,これまで〈美術監督〉の名で呼ばれたのは溝口健二監督《西鶴一代女》(1952)における水谷浩,同《雨月物語》(1953)における伊藤熹朔,大島渚監督《儀式》(1971),《戦場のメリークリスマス》(1983)における戸田重昌くらいである。さらに映画美術の具体的内容は時代や撮影システムによって著しく異なっており,現在でも《スター・ウォーズ》(1977)のプロダクション・デザイナーのノーマン・レイノルズと,《終電車》(1980)の美術監督コユト・ツベルコの仕事を同一の水準で論ずることは不可能である。…

※「水谷浩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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