批林批孔(読み)ひりんひこう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「批林批孔」の意味・わかりやすい解説

批林批孔
ひりんひこう

1973~74年に中国で展開された林彪孔子を批判する政治運動。林彪事件後の 73年7月,毛沢東は「林彪も国民党も尊孔 (子) 反法 (家) 」と述べた。以後,江青をはじめ四人組は北京大学,清華大学などで梁効などの「大批判組」を組織し,マス・メディアなどを通じて林彪・孔子批判を展開しはじめた。さらに,74年1月毛沢東の決定で,共産党中央は江青の編集した『林彪和孔盂之道』を全国に送達し,批林批孔運動はさらに全国規模に拡大した。そのなかで,四人組は「影射史学」の手法を用いて周恩来首相を「現代の大儒」「周公」として攻撃し,運動のほこ先を周恩来らの古参幹部に向けた。批林批孔運動をきっかけとして,権力内部の派閥紛争は再燃,中国の政治・経済状況が悪化した。

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世界大百科事典(旧版)内の批林批孔の言及

【孔子批判】より

… そして中国では1973年夏から約3年間,人民大衆を広くまきこむ大規模な孔子批判の動きが勃発した。それは当時,文化大革命の裏切者と評された林彪と孔子とを合わせて批判しようとした批林批孔運動である。そこでは,孔子は変革と進歩に反対し復古と退歩に固執した〈頑迷な奴隷制擁護の思想家〉〈反革命のイデオローグ〉というレッテルが貼られた。…

【中華人民共和国】より

…官僚層のみならず,大衆の間での圧倒的な支持と,長年の革命闘争を生き抜いた人並すぐれた政治感覚があって,はじめてできる綱渡りであった。 周恩来や73年に復活した鄧小平は,文革で失われた国家体制の秩序を正常化しようとしたが,文革派は,反潮流(1973),批林批孔(林彪と孔子批判,実は周恩来批判。1974),右からの巻返し反対(鄧小平批判。…

【文化大革命】より

…いっぽう,林彪なきあと文革派の名実ともにリーダーとなった江青,張春橋ら〈上海グループ〉は,毛沢東の権威をバックに,ことごとに実務派官僚に対立し,ここに文革派と脱文革のせめぎ合いの局面が出現した。73年に始まった〈反潮流〉の動きは,やがて翌74年の〈批林批孔〉運動へとひき継がれるが,その矛先は周恩来に向けられていた。75年には,文革のもたらした内政危機を乗り切るため,指導力のある鄧小平が奇跡の復活をとげ,重病の周恩来にかわって脱文革正常化をすすめるが,76年に入ると再度のまき返しにあい,鄧小平はふたたび打倒される。…

※「批林批孔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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