周公(読み)シュウコウ(その他表記)Zhōu gōng

デジタル大辞泉 「周公」の意味・読み・例文・類語

しゅう‐こう〔シウ‐〕【周公】

中国政治家文王の子。名は旦。兄の武王を助けていんを滅ぼし、武王の死後幼少成王を助けて王族反乱鎮圧。また、洛邑洛陽)を建設するなど周王室の基礎を固めた。礼楽制度を定めたといわれる。儒家尊崇する聖人の一人。生没年未詳。

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精選版 日本国語大辞典 「周公」の意味・読み・例文・類語

しゅう‐こうシウ‥【周公】

  1. 中国、周時代の政治家。文王の子。武王の弟。名は旦。また、姫姓の旦であることから姫旦とも称した。諡(おくりな)は元、あるいは文。武王を助けて殷王紂(ちゅう)を滅ぼし、内政を治め天下平定。武王の死後、成王を補佐し、制度・礼楽・冠婚喪祭の儀などを制した。

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改訂新版 世界大百科事典 「周公」の意味・わかりやすい解説

周公 (しゅうこう)
Zhōu gōng

中国,西周王朝建国の功臣。生没年不明。本名は姫旦(きたん),周公旦ともいう。周の文王の子。武王の弟。武王を助けて殷王朝を滅ぼし,武王の死後は幼い成王を助け摂政となった。周公の弟の管叔蔡叔らが殷の紂王の子の武庚と結んで反乱をおこすと,東征を行って反乱者を鎮圧するとともに東方の異民族たちを平定。さらに周王朝の東方支配の拠点として東都洛邑(成周)を建設した。また周代の多くの礼楽制度が周公によって定められたとされ,《周礼(しゆらい)》《儀礼(ぎらい)》《易経》の爻辞(こうじ)なども,伝説的には周公の著述とされる。その功績により魯に封ぜられたが,彼自身は魯国に行かず,息子の伯禽が初代の魯公となった。周の都にとどまった彼の子孫は〈周公〉の名を世襲したらしく,西周晩期にも有力な臣下としてその名が見える。成王が成長すると政治を王にかえした。このように周王朝の諸制度を定めたとされるところから,原始儒家はとくに周公を聖人としてあがめ,儒教自体も〈周孔の道〉と呼ばれている。
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百科事典マイペディア 「周公」の意味・わかりやすい解説

周公【しゅうこう】

中国,代の王族。本名は姫旦(きたん),周公旦とも。文王の子,武王の弟。武王を助けて(いん)を滅ぼし,武王の死後は幼少の成王を助けて政務を執り,周の支配を確立した。東方を征討して洛陽に都し,礼をもって封建制度の規範とした。のち曲阜(きょくふ)に封ぜられ,(ろ)を開いたといわれる。儒教では理想的人物とされる。
→関連項目王道・覇道爾雅周礼

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「周公」の意味・わかりやすい解説

周公
しゅうこう

生没年不詳。中国、周王朝創業の功臣。紀元前11世紀ごろの人。名は旦(たん)。文王の子。武王を助けて殷(いん)を滅ぼし、武王の没後、幼少で即位した成王の摂政(せっしょう)となったが(あるいは自ら王位についたともいわれる)、これを機に殷の遺民を率いる武庚禄父(ぶこうろくほ)や、周公の弟である管叔(かんしゅく)・蔡叔(さいしゅく)らが反乱を起こした。周公は召公(奭(せき))と協力してこの乱を鎮め、さらに東方地域の大遠征を行った。帰還後、周公は河南の地に新都洛邑(らくゆう)をつくり、東方諸部族支配の要地として自らここに鎮し、摂政7年にして政権を成王に返したという。周公はまた殷族支配のため、紂王(ちゅうおう)の兄、微子啓を殷の故地商丘に封建して宋(そう)公としたり、子の伯禽(はくきん)を魯(ろ)(山東省曲阜(きょくふ))に封ずるなど、王室一族や功臣を要地に封建して周室の守りを固めた。周公はのち忠臣、聖人として尊崇されるようになり、「詩」「書」や青銅器銘文にその功がたたえられている。また礼楽を創始したともいわれ、周の制度を書いた『周礼(しゅらい)』(偽書)もその作として伝えられる。

[宇都木章]

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旺文社世界史事典 三訂版 「周公」の解説

周公
しゅうこう

生没年不詳
周王朝を創始した武王の弟
名は旦 (たん) 。文王の子。武王を助けて殷 (いん) を滅ぼし,その死後は幼少の成王をもりたて,洛陽に副都を建設した。殷および東夷 (とうい) の統治に全力をあげ,周朝の基礎を確立。周の礼楽・制度を定めた聖人として,孔子をはじめ儒学者から尊ばれた。

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世界大百科事典(旧版)内の周公の言及

【爾雅】より

…著者,著作の年代,ともに未詳。ただし周公旦の著作といい,あるいは孔子の作といい,またあるいは孔子の弟子の作というのは,いずれもこの字書を重視し,できるだけ由緒正しいものに仕立てようというためであろう。《爾疋(じが)》とも書くが,いずれも〈爾〉は〈邇〉すなわち〈近〉,〈雅〉もしくは〈疋〉は〈正〉,全体として〈正しきに近づく〉意だとされ,もと《五経》をその正しい意味において読むための字書だとされた。…

【周】より

…武王は東方支配のために洛邑(洛陽市西郊)を建設しようとして果たさず,鎬京に帰還して数年後に死亡した。位を継いだ成王が幼少のため,叔父の周公旦(武王弟)が一時政治を行ったが,殷の監視のため東方に派遣されていた管叔(武王弟)らが,周公が王位を奪うと疑って反乱を起こし,これに殷の旧領を支配していた紂王の子の武庚が加担し,大動乱が起きた。周公は成王の命を受けてこれを鎮圧し,殷の残存勢力を一掃して,周の支配を確立した。…

【魯】より

…?‐前249年。周武王の弟で,周王朝創設の大功臣周公旦を始祖とする。山東省曲阜(きよくふ)に都をおく。…

※「周公」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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