投谷神社(読み)なげたにじんじや

日本歴史地名大系 「投谷神社」の解説

投谷神社
なげたにじんじや

[現在地名]大隅町大谷

大谷おおたにの南、みやはら鎮座。旧郷社。投谷八幡宮ともいう。祭神は神功皇后・応神天皇・仁徳天皇。和銅元年(七〇八)大隅正八幡宮(現鹿児島神宮)の分霊を勧請して創建されたという。古くは肝付氏、次いで北郷氏の尊崇が厚く、近世には島津氏の保護を受けたとされる。境内南西の山中に石躰と称する大きな石があり、もと二個あったが(「三国名勝図会」では三個)、うち一個が現存する。当社の鳥居平地にあるが、社殿はそれから二〇〇メートル余下った谷にある。天文二二年(一五五三)八月一三日銘の八幡宮棟札に「恒吉 投谷八幡宮」とみえ、願主は肝付氏であった。永禄元年(一五五八)三月一九日都城領主北郷時久は救援を島津忠親に求め、肝付兼続と宮ヶ原で戦って敗れたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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