日本大百科全書(ニッポニカ) 「折衷様建築」の意味・わかりやすい解説
折衷様建築
せっちゅうようけんちく
日本建築の様式の一つ。鎌倉時代に中国の建築様式が導入されて大仏様(天竺(てんじく)様)、禅宗様(かつては唐様(からよう)とよばれた)がおこり、その構造手法や細部装飾が古代以来培われてきた和様(わよう)に応用され、三者を折衷した折衷様が出現した。初めは大仏様の影響を受けた新和様が流行したが、13世紀後半からは折衷様が数を増し、14世紀以降は純粋な和様建築の例は少ない。14世紀における折衷様建築としては太山(たいさん)寺本堂(愛媛県)、明王院本堂(広島県)、鶴林(かくりん)寺本堂(兵庫県)などが著名(いずれも国宝)である。桟唐戸(さんからと)の多用、木鼻(きばな)の装飾化、組物(くみもの)に拳鼻(こぶしばな)、虹梁(こうりょう)に眉欠(まゆかき)や袖切(そできり)を用いるなど、大仏様や禅宗様の影響が細部によくみられる。
[工藤圭章]