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…東大寺では大仏殿をはじめ伽藍規模が巨大なため,資材,資金の調達に国内の総力の結集を必要とし,源頼朝の援助のもとに勧進上人俊乗坊重源の指導で再建された。重源は宋人技術者を採用し,資材の節約と工法に新工夫を加えた大仏様(天竺様)を導入した。大仏様は中国南部の地方様式を源流とする豪放な様式で日本中世の建築にひき起こした波紋は大きいが,東大寺南大門(1199),浄土寺浄土堂(兵庫,1192)など,重源の関係した建築に実施されたにとどまり,普及性を欠いたといえる。…
… 建築ではとくに鎌倉時代に禅宗に付随して移入された宋・元の建築様式(禅宗寺院建築)をとり入れたものを近世になって唐様と呼び,和様や天竺様の寺院建築と区別した。天竺様は鎌倉初期に東大寺再建のため重源が中国浙江省付近の様式を学んで採用した様式で,現代では大仏様と呼ばれる。唐様という呼称も,チャイニーズ・スタイルそのものとの誤解を避けるため,現代では禅宗様と呼ぶことが多くなった。…
…例えば,現存最古の木造建築である鳳停寺極楽殿(12世紀)や浮石寺無量寿殿(13世紀)の斗栱形式や,二重虹梁蟇股(かえるまた)を基本とする構造形式に唐様式が根強く生きている。しかし,鳳停寺極楽殿の頭貫(かしらぬき)木鼻を垂直に切った形式や,母屋(もや)桁下架構の発達などは,中国華北の遼時代建築細部を受容したものであり,また,肘木(ひじき)下端の繰形は12世紀ころに南宋から伝わった様式(日本でいう大仏様=天竺様)の影響と認められる。新羅以来の伝統様式の上に新しく中国の建築様式を採り入れて折衷様化を図り,日本の折衷様式と同じ経過をたどっている。…
…柱には丸柱と角柱があり,主要な部分には丸柱を用い,向拝(ごはい∥こうはい)や裳階のような従属的部分に角柱を使う。丸柱は,中ほどにギリシア建築のエンタシスに似た胴張りのあるもの(飛鳥時代),上端を丸く細めたもの(奈良時代),上にいくにしたがい細くなるもの(大仏様),上下端を細めたもの(禅宗様)がある。まれには表面に縦溝をつけた胡麻殻(ごまがら)柱のような特殊なものもある。…
…鎌倉初期に東大寺再建のため,宋から大勧進俊乗坊重源(ちようげん)が取り入れた建築様式で,そのため大仏様(だいぶつよう)ともいう。後に禅宗建築に採用された唐様(からよう)(禅宗様(ぜんしゆうよう))が宋の中央様式であったのに対して,天竺様は江南,福建などの地方様式であったらしい。…
…平安時代の遺構としては,室生寺金堂,醍醐寺五重塔,平等院鳳凰堂,中尊寺金色堂,富貴寺本堂,宇治上神社本殿など,京都を中心とするが,広く全国的に残っている。
[中世]
鎌倉時代の初め,東大寺の再建に当たって僧重源により南宋の建築様式である大仏様(天竺様)が伝えられた。大仏様は東大寺や重源が建てた寺院に用いられ,構造的な美しさに重点をおいた力強い様式で,挿肘木(さしひじき),木鼻(きばな),貫を新たに用いた。…
※「大仏様」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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