押切新田村(読み)おしきりしんでんむら

日本歴史地名大系 「押切新田村」の解説

押切新田村
おしきりしんでんむら

[現在地名]三川町押切新田

あか川中流右岸の自然堤防上に立地。南は横山よこやま村、東は上土口かみどぐち村・下土口村、西の赤川対岸は猪子いのこ村。酒田街道が通り、赤川舟運の休泊地でもあった。横山新田村とも称される。郷帳類には一村で高付されるが、実際は北から下組・中組・上組・対馬つしま三本木さんぼんぎの五村に分れ、それぞれに肝煎が置かれて一村としての機能を有した。ほかに枝郷として坂野辺さかのべ新田がある(弍郡詳記)。押切の名は押切備前守にちなむとされ、「押切鑑」に「天文年中、櫛引郷丸岡館主押切備前守移りて横山館主たり。勢盛なりしが、後横山大膳なるもの勃興するに至り、破れて此の地に居住し、荒野を拓き農耕を奨めたり」とある。三本木は草分の者らが三本の欅の下に居を構えたことによるといい、元和年間(一六一五―二四)宝谷ほうや(現櫛引町)からの移住があったという。また対馬のツは舟着場、シマは田のあるところの意とされる。

開発は横山村佐藤三右衛門らによって進められ、編年私記(鶴岡市郷土資料館蔵)の寛永四年(一六二七)条に「三月二日押切新田開発被仰付、横山村々之内下押切より大淵迄新田ニ取立度由(中略)押切村辺一円野谷地なりしに、此時より新田開発追々村立と成たる也」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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