日本歴史地名大系 「押切新田村」の解説
押切新田村
おしきりしんでんむら
開発は横山村佐藤三右衛門らによって進められ、編年私記(鶴岡市郷土資料館蔵)の寛永四年(一六二七)条に「三月二日押切新田開発被仰付、横山村々之内下押切より大淵迄新田ニ取立度由(中略)押切村辺一円野谷地なりしに、此時より新田開発追々村立と成たる也」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
開発は横山村佐藤三右衛門らによって進められ、編年私記(鶴岡市郷土資料館蔵)の寛永四年(一六二七)条に「三月二日押切新田開発被仰付、横山村々之内下押切より大淵迄新田ニ取立度由(中略)押切村辺一円野谷地なりしに、此時より新田開発追々村立と成たる也」とある。
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