日本歴史地名大系 「押戸村」の解説 押戸村おしとむら 茨城県:北相馬郡利根町押戸村[現在地名]利根町押戸奥山(おくやま)村の東に所在。東南は大房(だいぼう)村。古くは相馬御厨のうちで、布川(ふかわ)村などとともに黒崎(くろさき)郷と称したと考えられる。相馬小次郎左衛門尉胤綱子孫系図(島津家文書)によれば胤綱の三女(尼妙智)は島津久経に嫁しているが、弘安七年(一二八四)の平氏女譲状(同文書)によると尼妙智は康元元年(一二五六)と弘安三年の二度にわたって父母から与えられた「下つさのくにさうまの御くりやのうちくろさきのかう」を子の忠宗に譲与している。 押戸村おしどむら 福島県:南会津郡舘岩村押戸村[現在地名]舘岩村押戸・松戸原(まつとはら)戸中(とちゆう)村の西、舘岩川の支流湯(ゆ)ノ岐(また)川の右岸にある。対岸は吉高(よしたか)村。「会津風土記」に「押戸」とある。貞享二年(一六八五)の「長江庄郷村地方風俗帳」によると、畑方のみの村で雑穀の生産で生活していた。元禄七年(一六九四)の村明細帳(星家文書)によると高三一石余、反別八町一反余。寛延(一七四八―五一)頃の村々覚帳(同文書)では免一ツ六分、家数四。文化一五年(一八一八)の南山御蔵入領組村高帳では高三四石余。化政期の家数四(新編会津風土記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by