持明院基春(読み)じみょういん・もとはる

朝日日本歴史人物事典 「持明院基春」の解説

持明院基春

没年天文4.7.26(1535.8.24)
生年享徳2(1453)
室町時代の公家正三位,参議。父は基信。世尊寺家16代行高から書を学び,能書として著名足利義澄のとき,室町幕府将軍家所用の征旗を揮毫した。また,文亀2(1502)年には,行高から相伝を受けた世尊寺家所伝の秘説を世尊寺家17代の行季に授けた。しかし,天文1(1532)年に行季が戦死して世尊寺家が断絶すると,後奈良天皇の勅許により,基春が入木道(書道異称で,師匠から弟子にと継承される型にはまった書道をいう)を相承した。以後,持明院家が宮廷の書き役を奉仕することになり,宮廷書壇の中心をなした。<参考文献>小松茂美『日本書流全史』

(島谷弘幸)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「持明院基春」の解説

持明院基春 じみょういん-もとはる

1453-1535 戦国時代公卿(くぎょう),書家
享徳2年生まれ。持明院基規(もとのり)の父。正三位,参議。世尊寺(せそんじ)行高にまなび,能筆で知られる。天文(てんぶん)元年(1532)世尊寺行季(ゆきすえ)の死で代々朝廷の書役(かきやく)をつとめてきた世尊寺家が断絶したため,基春が書役につき,以降は持明院家が継承した。持明院流の祖。天文4年7月26日死去。83歳。

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世界大百科事典(旧版)内の持明院基春の言及

【持明院家】より

…藤原氏北家の流れ。中御門庶流。家格は羽林家。藤原道長の子右大臣頼宗の孫基頼を祖とする。家名は,基頼が邸宅内に建立した持仏堂を持明院と名づけたのに由来し,その子通基は,これを改めて安楽行院としたが,持明院を家号とした。通基の子基家は,その女が後高倉院の妃となり,後堀河天皇の生母であったことから,外祖父として基家の父祖が昇進できなかった中納言に昇り,代々これを先途とした。江戸時代の初め,承嫡の者がなく家名断絶の危機に見舞われるが,徳川家の家臣の子大沢基定を入れて家名を継承した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」