出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…その地を猿若町と改名し,以後明治まで興行が行われた。中村座は中村勘三郎,森田座は森田勘弥,市村座は市村羽(宇)左衛門が基本的に代々座元として興行権を持っていたが,この三座に経済的な支障が生じ興行を継続できない事態になったおりは,控櫓(仮櫓)によって興行が行われた。1735年(享保20),森田座にかわり河原崎座が興行したのがはじめで,中村座には都座,市村座には桐座が控櫓として存在した。…
…中村座には都座,市村座には桐座,森田座には河原崎座が代わりうる定めであった。中村,市村,森田の3座を〈元櫓(もとやぐら)〉(〈本櫓〉とも),都,桐,河原崎の3座を〈仮櫓(かりやぐら)〉(〈控櫓〉とも)と呼んだ。このほか,例外として玉川座が許可されたことがある。…
…一方,興行は,当り,はずれの浮沈をくりかえしてきたので,古くから〈水もの〉といわれてきた。不入りのために膨大な借金を抱え,江戸三座の座元が窮地に陥ったときの救済策として,北町奉行は1734年(享保19)8月から,他の座元が興行を代行する〈控櫓(ひかえやぐら)(仮櫓)〉の制度を設けた。上方の興行機構は江戸と異なり,興行権の所有者を〈名代(なだい)〉,劇場の持主を〈芝居主〉,興行師でしかも芸の実力と人気を兼備した役者や太夫を〈座本(ざもと)〉(江戸時代中期以降は〈仕打(しうち)〉が職掌として代行)とよび,この3者が提携して興行主体を構成した。…
…江戸の歌舞伎の興行権は,1714年(正徳4)以後,中村座,市村座,森田座の〈江戸三座〉の座元に限って与えられる世襲の特権であった。この三座が興行不能に陥った場合には,代わって興行する〈控櫓〉の制度が設けられていた。34年(享保19)に森田座が借財のため休座するに至ったため,その休座中に限り河原崎座に興行代行の許可がおりたのが始まりで,中村座には都座と玉川座,市村座には桐座,森田座には河原崎座が控櫓と定まったのである。…
※「控櫓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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