日本歴史地名大系 「揖屋庄」の解説
揖屋庄
いやのしよう
現東出雲町中部に所在した庄園。「和名抄」の
承安二年(一一七二)九月一六日、大宅助澄は父助宗から譲られた別火職を安堵され(「某補任状写」井上家文書)、建久一〇年(一一九九)四月には資澄(助澄)から宗澄への揖屋社別火上官職の譲与が安堵されている(「某政所下文」同文書)。これらはいずれも領家ないしは本家が安堵したものであるが、寛元元年(一二四三)四月二九日には地頭安東左衛門尉が父宗澄から為澄への杵築五社別火職の相続を安堵している(「地頭左衛門尉藤原某補任状」同文書)。安東氏は東国御家人で、文永八年(一二七一)一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳の三番に「揖屋庄三十一丁安東宮内左衛門尉」とあるのも同一人物と思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報