日本歴史地名大系 「敦賀城跡」の解説
敦賀城跡
つるがじようあと
近世
築城の時期は不明だが、天正一一年(一五八三)頃蜂屋頼隆が羽柴秀吉より五万石を与えられ居城、同一七年には大谷吉継が後を継いだ。慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原の戦で東軍に属した吉継は戦死し、大谷氏の領地は没収された。同六年結城秀康が越前に入部、家臣清水丹後守を敦賀城代に任じた。慶長一一年頃の越前国絵図には、三層の瓦葺の城郭がみえる。なお「疋田記」は同五年敦賀城の天守が焼失したとする。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報