敦賀城跡(読み)つるがじようあと

日本歴史地名大系 「敦賀城跡」の解説

敦賀城跡
つるがじようあと

[現在地名]結城町・三島町一丁目

近世しようノ川は現流路の東方を北流していたが、当城はしようのはし橋の西にあった。東流して笙ノ川に流入するあか川を北堀として利用し、このため同川は古くは長堀ながほり川と称された。元和元年(一六一五)の一国一城令で破却された。

築城の時期は不明だが、天正一一年(一五八三)頃蜂屋頼隆が羽柴秀吉より五万石を与えられ居城、同一七年には大谷吉継が後を継いだ。慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の戦で東軍に属した吉継は戦死し、大谷氏の領地は没収された。同六年結城秀康が越前入部、家臣清水丹後守を敦賀城代に任じた。慶長一一年頃の越前国絵図には、三層の瓦葺城郭がみえる。なお「疋田記」は同五年敦賀城の天守焼失したとする。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「敦賀城跡」の解説

つるがじょうあと【敦賀城跡】


金ヶ崎城跡(かながさきじょうあと)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android