日本歴史地名大系 「敷地遺跡」の解説
敷地遺跡
しきじいせき
[現在地名]徳島市国府町敷地
吉野川の旧支流の氾濫によって形成された標高約五メートルの自然堤防上およびその後背湿地にある。平成一〇年(一九九八)から一般国道一九二号徳島南環状道路建設に伴って発掘調査が行われている。遺跡は弥生時代から室町時代まで続く複合遺跡である。弥生時代後期の集落は微高地上を中心として円形の竪穴住居跡や土坑などが検出されており、周辺部の流路からは銅鏃も出土している。古墳時代の集落は五世紀末から七世紀前半にかけて存在しており、竪穴住居跡や掘立柱建物跡が多く検出されている。竪穴住居跡内には竈が設けられており、平面プランはいずれも方形である。一辺が四―六メートルのものが一般的であるが、なかには八メートル前後のものもみられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報