日本歴史地名大系 「敷根村」の解説
敷根村
しきねむら
- 鹿児島県:国分市
- 敷根村
応永一八年(一四一一)総州家島津氏と伊集院頼久とが結んで奥州家島津久豊(義天)と争った折、「敷根」は久豊方であった(「島津義天譜」旧記雑録)。永享三年(一四三一)三月日の大隅国留守所下文写(調所氏家譜)には小河院内の寺田として「門蔵一町廿疋」がみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
応永一八年(一四一一)総州家島津氏と伊集院頼久とが結んで奥州家島津久豊(義天)と争った折、「敷根」は久豊方であった(「島津義天譜」旧記雑録)。永享三年(一四三一)三月日の大隅国留守所下文写(調所氏家譜)には小河院内の寺田として「門蔵一町廿疋」がみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...