斉藤修一郎(読み)さいとう・しゅういちろう

朝日日本歴史人物事典 「斉藤修一郎」の解説

斉藤修一郎

没年:明治43.5.7(1910)
生年:安政2.7.12(1855.8.24)
明治期の官僚。越前国府中(福井県武生市)出身。府中藩(武生市)眼科医斉藤策順の子。沼津兵学校付属小学校,大学南校に学び,明治8(1875)年第1回官費留学生として米国に留学,13年帰国後外務権少書記官公信局勤務を振り出しに外務卿付書記,外務権大書記官,翻訳局長などを歴任,19年公使館参事官として欧米に出張。この間井上馨 の知遇を得,21年井上の農商務相就任により帰国。農商務相秘書官,商務,工務,農務各局長を経て26年農商務次官となり,27年退官後実業界に入った。第1回総選挙(1890)には郷党の強い出馬要請を辞退。中央での活躍のほか,郷里武生のためにいろいろと尽力し,半狂学人,談笑門人とも号す。

(池内啓)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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