斎藤精輔(読み)サイトウ セイスケ

20世紀日本人名事典 「斎藤精輔」の解説

斎藤 精輔
サイトウ セイスケ

明治・大正期の辞書編纂



生年
慶応4年7月11日(1868年)

没年
昭和12(1937)年5月13日

出生地
周防国(山口県)

学歴〔年〕
帝国大学中退

経歴
小学校訓導を務めたのち、明治19年上京。三省堂創業者亀井忠一依嘱で、公爵毛利家の家庭教師のかたわら、英語辞書の編纂を手掛ける。21年イーストレーキ、棚橋一郎の名による英和辞典刊行後、辞書編纂に専念。ついで教科書出版を企画し、24年三省堂編修所設立。31年「日本百科大辞典」編纂開始、41年第1巻を発売、第6巻まで刊行するが、45年三省堂倒産完結を志して自ら刊行会を組織、編纂主幹となり学界財界援護を受け、大正8年全10巻を完成させた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤精輔」の解説

斎藤精輔 さいとう-せいすけ

1868-1937 明治-大正時代の辞典編集者。
慶応4年7月11日生まれ。三省堂の亀井忠一(ただかず)の娘婿となる。明治24年三省堂編修所を設立。31年「日本百科大辞典」の編集をはじめるが,大正元年第6巻刊行後,資金難のため三省堂が倒産。学界,財界の援助をうけて,8年全10巻を完成させた。昭和12年5月13日死去。70歳。周防(すおう)(山口県)出身。帝国大学中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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