20世紀日本人名事典 「斎藤輝子」の解説 斎藤 輝子サイトウ テルコ 昭和期の旅行家 歌人・斎藤茂吉の妻。 生年明治27(1894)年 没年昭和59(1984)年12月16日 出生地東京・浅草 主な受賞名〔年〕森田たまパイオニア賞〔昭和50年〕 経歴青山脳病院の創始者、故斎藤紀一の次女に生まれ、大正3年歌人の茂吉と結婚。旅行好きで知られ、日本全国で訪れた場所は300以上、アジア、アフリカの秘境にも度々出かけ、79歳の50年には南極大陸に挑戦、南極旅行最年長の世界タイ記録を樹立した。その人間像は北杜夫の「楡家の人びと」にも描かれている。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤輝子」の解説 斎藤輝子 さいとう-てるこ 1895-1984 昭和時代後期の旅行家。明治28年12月11日生まれ。斎藤紀一の次女。斎藤茂太,北杜夫(もりお)の母。大正3年斎藤茂吉と結婚。昭和28年茂吉の死を契機に旺盛なバイタリティーと行動力で世界各地を旅行し,79歳で南極にでかけ「快妻オバサマ」とよばれた。昭和59年12月16日死去。89歳。東京出身。学習院女学部卒。本名はてる子。【格言など】どうしてガンになったか解剖して,後世に役立ててほしい(最期の言葉) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by