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南極 なんきょくAntarctica; South Pole

7件 の用語解説(南極の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

南極
なんきょく
Antarctica; South Pole

地軸の南端で,南極点ともいう。広義には南極点を中心とした南極大陸およびその周辺地域をさし,南緯 66°33′以南を南極圏と呼ぶ。南極点には,南緯 90°の地点と,磁極上の南極 (南磁極) とがある。

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デジタル大辞泉の解説

なん‐きょく【南極】


地軸南半球地表と交わる点。南極点。
地軸延長線が南側で天球と交わる点。天の南極
地磁気の南の極。南磁極。
南極大陸および南極圏の略称。

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百科事典マイペディアの解説

南極【なんきょく】

南緯90°の地点。地球自転軸が南半球で地表と交わる点。探検隊による南極点到達は1910年―1912年のアムンゼン隊と1910年―1913年のスコット隊の間で先陣争いが行われ,前者は1911年12月14日,後者は1912年1月17日に到達した。
→関連項目

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世界大百科事典 第2版の解説

なんきょく【南極】


天文学の南極】
 天体の自転軸が天体の表面と交わった点の一つ。地球の南極,火星の南極,木星の南極などという。自転軸が天体の表面と交わる点は二つあるが,その点から周極星の日周運動を見た場合,時計回りに見える方を南極,反時計回りに見える方を北極という。 地球の自転軸を無限に延長して天球と交わらせた二つの点のうち,南側の点を〈天の南極〉という。赤緯-90゜の点に当たる。天の南極の近くには適当な明るい星がないため,南極星と呼ばれるようなものはない。

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大辞林 第三版の解説

なんきょく【南極】

地球上、地軸が南方で地表と交わる点。
◇ 南極圏および南極大陸とその付近をさす。南極地方。
天球上、地軸を南方に延長したとき天球と交わる点。天の南極。
▽↔ 北極

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

南極
なんきょく

南緯90度の、地球の回転軸が地表と交わるところを南極あるいは南極点South Poleという。しかしより広義には、南極点を中心として広がる南極地域をさす。南極地域の範囲の定め方にはいくつかの方法がある。およそ南緯66度33分の緯線は南極圏とよばれ、ここから南では1年のうち少なくともそれぞれ1日、太陽の沈まない日と出ない日があって、天文学的な南極地域をなしている。また、ほとんど氷雪に覆われた南極大陸とそれに隣接する島々をさすこともあり、さらにその周辺の海域を含めて南極地域とすることもある(英語では大陸を中心とした地域をAntarctica、周辺を含めた範囲をthe Antarcticのように表記して区別することがある)。
 現在よく用いられるのは、南極大陸を取り囲む太平洋、大西洋、インド洋の海域を通じて、南緯50度から60度辺にかけて存在している海洋中の南極収束線から南を南極地域とする場合である。南極の調査研究に関する国際的な学術団体である南極研究科学委員会(SCAR Scientific Committee on Antarctic Researchの略)でも、これを採用している。南極収束線から南の海域は、南大洋Southern Oceanとよばれる。これは南極海あるいは南氷洋ともいわれるところにあたる。南極条約では南緯60度以南の地域をその適用地域と定めているが、南極条約システムのなかの一つとされる南極海洋生物資源保存条約では、南極収束線に基づいて適用地域を定めている。
 南極点は地理学的極点であるが、このほか地球の磁場に関連して、実際の地磁気分布からみて伏角が90度となる南磁極(2003年1月の時点で南緯64度33.1分、東経138度10.3分の海上にある)、地球の磁場を地球中心に位置する磁気双極子で近似した場合の地磁気南極(南磁軸極、南緯78.8度、東経109.2度)がある。また、南極大陸のいずれの海岸からももっとも遠い地点を大陸の中心として、到達至難極(または到達不能極)とよぶことがある。これは南緯82度、東経75度付近に位置する。[吉田栄夫]

雪氷圏

南極大陸はその97%余りを厚い氷(南極氷床)に覆われ、またその周辺は、たとえば昭和基地沖では冬季には北方へ1000キロメートルにわたって張り出す海氷域となるなど、南極地域は氷雪の支配するところである。氷床やその一部である棚氷(たなごおり)、海氷、氷山などが南極の雪氷圏を構成している。
 海氷は海水が凍結して生ずる。海水の結氷点はほぼ零下1.9℃である。海岸から一面に張り出した海氷を定着氷という。1年間で生成した氷は一年氷(ごおり)で、これが夏にも融(と)けきらず残ると二年氷あるいは多年氷となる。昭和基地周辺の一年氷はおよそ150センチメートルの厚さまで成長する。南大洋の海氷の多くは、風や海流で漂流する流氷(パックアイスpack iceともいう)である。これらは径数メートルから数十メートルの大きさの氷盤をなし、大陸周辺の偏東風によって西へ流れる。このとき地球自転の転向力の影響を受け、風下に向かって左に偏って流れる。このため東や北寄りの風が吹けば陸岸に向かって海氷が集まる。ときには幾層にも氷が重なり合い、氷丘氷をつくって厚くなり、また小さい氷盤が接合して巨大な氷盤あるいは氷野をつくる。このようなところに砕氷船がいれば、航行不能となって海氷に閉じ込められる状態に陥る。
 定着氷は海岸から20~30キロメートル、場所によっては50キロメートル以上沖合いに張り出すが、低気圧による風や海のうねりによって縁辺が割れ、流氷となる。海岸とくに露岩に接したところでは、夏季に融解が早く進んで開水面(氷湖)が生ずることもある。
 南極は周辺が大洋であって海氷の夏季の流失、融解がよく進み、二年氷や多年氷は湾の奥や島の間など限られたところに存在する。それで、冬季の海氷域(海氷の密集度15%以上のところ)の全面積は1800万~2000万平方キロメートルに達するのに、夏季の最小となる2月には350万~450万平方キロメートルと季節的変動が大きい。なお海氷は間に開水面があるので、海氷の実質面積は、冬季と夏季それぞれ1500万~1600万平方キロメートル、200万~300万平方キロメートルほどである。[吉田栄夫]
南極氷床
広く大地を覆うような氷体のうち、面積およそ5万平方キロメートル以上のものを氷床とよぶ。このように定めると、現存する氷床は南極とグリーンランドのもののみで、後者は前者の10分の1程度にすぎない。5万平方キロメートル以下のものは氷帽とよばれる。南極氷床は寒冷で、降り積もった雪は沿岸近くを除いて融けることなく、長期間にわたり力学的なまた熱的な変形・変態を受ける圧密過程によって、雪から氷となり流動する。昭和基地南東の内陸みずほ基地で行われた氷床のボーリングで得られた氷のコアの研究によれば、深さ54メートルあたりで密度は0.84g/cm3となり、すべてのすきまが独立した気泡となって通気性がなくなる。このような状態を雪から氷に転化したと定義する。より内陸のより低温のところでは、雪から氷になる深さは大きくなる。厚く広大な氷体である氷床の形状は、おもに氷の物理的性質によって決まり、氷床の表面形態は沿岸近くを除いては氷下の岩盤の地形にほとんど影響されない。南極氷床は下の基盤岩に氷が直接のっているいわゆる着底氷床と、広く海に浮いている棚氷の部分とからなっている。そしてその形態的特徴から、ウェッデル海東縁のコーツ・ランドからロス海西縁のビクトリア・ランドに至るほぼ東半球に属する東南極氷床と、西半球に属してより小さく高度も低い西南極氷床に区分できる。これは、主として先カンブリア時代の基盤岩からなる楯状(たてじょう)地が広がる東南極大陸と、より新しい造山帯に属し活火山も分布する西南極大陸に相当している。
 東南極氷床は、きわめて平坦(へいたん)で縁辺部で急に高度を低める巨大なドーム状の形態をなしている。最高所は南緯82度、東経75度付近で海抜4100メートルを超える400キロメートル×200キロメートルほどの頂部をなし、ドームAとよばれる。ここから南緯76度、東経96度を中心とする海抜3800メートルのドームB、南緯74度、東経124度を中心とする海抜3200メートルのドームCへと高まりが北東方向へ延び、幅広い尾根をつくる。北西方向へは南緯77度19.0分、東経39度42.2分付近に3810メートルの最高点をもつドームへと連なり、これらが東南極氷床の一大分水界(分氷界)をなしている。イギリスのドリューリーDavid John Drewryはリモート・センシングによる南極大陸の概略の地形図上で、このドームをバルキューレ・ドームと命名したが、現地で調査を行った日本隊はドームふじとよび、最高点にドームふじ観測拠点を建設し、氷床深層掘削ほかの観測を行った。
 氷床の氷は高所から海岸に向けて流動するが、その流れには幅広くゆっくり流れる布状流れと、基盤岩の谷状の地形に沿って氷が収束し、速く流れる氷流流れがある。後者のような氷床中の流れを氷流という。これが顕著な形状を呈するとランバート氷河、白瀬(しらせ)氷河などとよばれるようになる。もし、これらが山地の露岩の間を抜けて流れれば溢流(いつりゅう)氷河という。ランバート氷河は、東南極にある世界最大の氷流で、流域面積は115万平方キロメートルに達する。前述したように、氷床の表面形態は一般に下の基盤岩の地形に直接支配されることは少ないが、ここではかなり広範囲にわたって、氷床の表面形態に影響を与えていることが特徴である。また、昭和基地南方の、リュツォ・ホルム湾頭に注ぐ白瀬氷河は、下流で年間2.5キロメートルの流速があり、南極でこれまでに知られたもっとも速い氷流の一つである。なお、東南極氷床もアメリー棚氷、ウェスト棚氷、シャクルトン棚氷などの棚氷を涵養(かんよう)するが、西南極に比すれば著しく少ない。
 西南極氷床は東南極に比べればかなり規模が小さいので、小南極Lesser Antarcticaとよばれることもある。これに対する東南極は大南極Greater Antarcticaである。西南極氷床主部では南緯80度30分、西経97度付近(ウーラド山、ムーア山がある)と、南緯77度、西経125度付近(エグゼクティブ・コミッティー山地がある)に、それぞれ標高2400メートルおよび2500メートルに達する頂部をもつ二つのドームが、氷の流出の中心をなし、この間は1800メートルほどの緩い鞍部(あんぶ)となっている。西経57度と70度の間で北方へ延びる南極半島は、南緯69度24分、西経68度51分のジェレミー岬と、南緯68度29分、西経62度56分のアガシー岬を結ぶ線で、南の幅広いパーマー・ランドと、北の幅が100キロメートル以下のグレアム・ランドに分けられる。前者は標高2200メートルに達する氷床で、後者はほぼ2000メートルまでの多くの氷帽で覆われている。西南極氷床の特徴は、着底している基盤の高さが海面以下である所が広く、平均高度が海面下440メートルとされること、またロス棚氷やロンネ棚氷、フィルヒナー棚氷など広く棚氷を形成していることであろう。ある算定によれば、東南極の30万平方キロメートルに対して西南極の棚氷の面積は131万平方キロメートルに達する。
 棚氷は氷床が海に流出して浮いている部分であり、厚さは普通100~300メートルほどである。着底した氷床からの氷の移流と棚氷表面への積雪、それに上流部の底面への海水の凍結で棚氷は涵養され、末端からの氷山の分離や下流部での表面の融解、底面の融解で消耗する。ロス棚氷やロンネ・フィルヒナー棚氷(あわせてこうよぶことがある。かつてはすべてフィルヒナー棚氷とよばれた)は、東南極氷床からの移流もあるものの、おもに西南極氷床の氷流による氷で養われている。棚氷から分離して生じた氷山は平坦で、いわゆる卓状氷山とよばれ、南大洋に特徴的な氷山とされる。
 西南極氷床のように氷床ののる基盤の高さが、広く海面より低いような場合、これを海洋性氷床とよぶことがある。氷床が基盤を離れて海に浮かぶようになる地点を連ねたところを接地線とよぶが、海洋性氷床は、世界的な海面の高さの変化による接地線の移動にとくに敏感で、たとえばわずかの海面の上昇によっても接地線が後退し、氷床の大規模な崩壊へと進むような不安定性をもつとされる。[吉田栄夫]

地質・地形

南極大陸の地質構造は、前述のように東南極(大陸)と西南極(大陸)に大別して考えることができる。東南極は先カンブリア時代の基盤岩からなる楯状地と、その縁辺部を構成する原生代末から古生代初期の造山帯および一部は古生代中期にまで至る造山帯からなる。西南極は中生代初期の造山帯および中生代後期から新生代初期の造山帯を主体とするという考え方が支配的である。
 東南極楯状地を構成する岩石のほとんどは、先カンブリア時代の始生代から古生代初期までの幅広い同位体年代を示す変成岩類、火成岩類からなり、いわゆる結晶質基盤岩をなしている。ごく一部には、古生代中期以降の堆積(たいせき)岩や火山岩も分布する。先カンブリア時代の岩石は年代的にまた岩石学的特徴からいくつかの造山帯(変動帯)として区分されている。これらの細部についてはかならずしも意見の一致をみていないが、たとえばロシアのグリクロフG.E.Grikurovによるものを示せば次のとおりである。まず昭和基地東方のエンダビー・ランドには、38億年前の地球上でもっとも古い岩石の一つが分布し、40億年前後のナピア変動が識別される。続いてこれに隣接する35億年のレイナー変動、30億年のフンボルト変動、26億5000万年のインゼル変動、17億年の前期ルッカー変動、10億年の後期ルッカー変動、6億5000万年の前期ロス変動、それに4億8000万年の後期ロス変動である。
 以上の変動により形成された結晶質基盤岩類のほか、後述のビーコン累層に相当する古生代後期の陸成堆積岩が、ランバート氷河地域、ジョージ5世海岸、西クイーン・モード・ランド(ドロンイング・モード・ランド)の一部にみいだされる。これらは陥没地帯にあって後の侵食を免れて残存したと考えられている。また火成岩では、ジョージ5世海岸には後述のフェラードレライトに相当するドレライト(粗粒玄武岩)が、プリンス・チャールズ山脈には第三紀始新世のアルカリ玄武岩が知られ、さらに、かつて第三紀中新世の岩石からなる火山とされたガウスベルグ(南緯67度、東経89度)には、最近5万6000年前という第四紀の新しい活動が識別されるようになった。
 東南極楯状地を縁どり西南極との境界をなす南極横断山地は、ロス海北西縁の北ビクトリア・ランドからウェッデル海東縁のコーツ・ランドまで3500キロメートルにわたって断続して連なる山脈群からなる大山系である。ここでは10億年前のニムロッド変動、6億5000万年前のベアドモア変動で形成された変成岩類、花崗(かこう)岩類が基盤となり、そこに先カンブリア時代最末期から古生代初めにかけて堆積作用があり、これが4~5億年前のロス造山運動(狭義)を受けて、広く花崗岩類が形成された。その後ここは隆起して侵食を受け、さらにその上に、古生代デボン紀から中生代ジュラ紀にかけて砂岩を主体とする陸成~浅海性の厚い堆積岩が堆積した。これがビーコン累層(またはビーコン砂岩)である。これはのちに大規模な隆起を受けたが、褶曲(しゅうきょく)運動をほとんど被らず、水平ないしごく緩く傾く地層を呈している。この中には古くから石炭層が知られ、いわゆるゴンドワナ植物群とされるグロッソプテリスなどの化石、あるいは爬虫(はちゅう)類のリストロサウルスの化石などを産し、また古生代末の氷河作用を示す氷成礫(れき)岩も含まれ、ゴンドワナ大陸復原の有力な証拠を呈している。基盤の花崗岩類や花崗岩質片麻(へんま)岩類とビーコン累層は、ともにジュラ紀の1億5000万年ほど前に大規模なドレライトの貫入を受けた。これはフェラードレライトとして南極横断山地の各所に岩床や岩脈として分布し、一部は地表に噴出して溶岩や枕状(まくらじょう)溶岩となっている。これは、ゴンドワナ大陸の分裂に先だち、かつ分裂に関連しておこったできごとと考える人が多い。
 北ビクトリア・ランド北端でロス海に面し、レニック氷河を通る大断層でビクトリア・ランド主部と分かたれる三角形状の地域は、これまで古生代中期の変動帯のボーチグレビンク造山帯として、ロス造山帯と別個のものとして位置づけられていた。最近の調査の進展に基づいて現在この点の再検討が行われており、この地域をロス造山帯の一部と考え、それが後の示差的な構造運動を受けたものとする見方もなされるようになった。
 北ビクトリア・ランドから南ビクトリア・ランドのマクマード入江地域付近にかけては、第三紀の中新世から現世に至る火山活動もみられる。マクマード入江を介して大陸と対峙(たいじ)するロス島のエレバス火山(3794メートル)は、100万年ほど前から活動していたようであるが、現在アルカリ玄武岩の活動があり、火口内に溶岩湖をしばしば形成する世界でも数少ない活火山である。
 西南極は、東南極に比べて、より新しい造山帯に属する地域とされる。まずエルズワース山地では、これまで知られているもっとも古い地層は古生代カンブリア紀の浅海性の堆積岩で、これは中生代初期に激しい褶曲作用を受けた。エルズワース山地は、位置的、構造的に南極横断山地と南極半島~マリー・バード・ランドをつなぐような形状をなしている。これは南極横断山地の西側に平行的に形成された造山帯で、その後南極横断山地に対して90度ほど回転したのではないかということを示唆し、古地磁気学的にもこの考えは支持されるようである。
 マリー・バード・ランドから南極半島にかけて、中生代ジュラ紀から白亜紀にわたる砕屑(さいせつ)岩や火山岩を主体とする堆積物が厚く堆積し、白亜紀末には大規模な深成岩類が形成され、堆積物は褶曲を受けた。またマリー・バード・ランドでは19のカルデラを含む28の成層火山が知られている(エグゼクティブ・コミッティー山地などおよそ六つの山塊に分布する)。南極半島地域では、半島北部の北西側に弧状に走るサウス・シェトランド諸島におよそ10の火山が分布し、そのうちのデセプション島は活火山として噴火を繰り返している。半島の南東側にもリンデンベルグ島などの火山が知られる。なお、南極半島地域には、先カンブリア時代の原生代後期、古生代後期、中生代後期、新生代第三紀の比較的豊富な動植物化石を産する。
 ここで、地質構造と関連する大地形を氷床下の岩盤の地形を含めて概観しよう。まずもっとも顕著なのは標高2000~4000メートルに達する南極横断山地である。ロス海およびウェッデル海側は断層で落ち込んでいることが確かなようであり、背後の内陸側も断層で境されていると考えられ、南極横断山地は断層運動で上昇した大きな断層山地であるらしい。中生代後期以降隆起し、第三紀に入ってこの運動は加速された。こうした地殻変動、火山活動、東南極楯状地と区別される造山運動などから、この山地は地質学的には西南極に属するとしたほうがよいとの考えもある。しかし、岩盤の地形や氷床の性質など南極の自然の理解のためには、南極横断山地は東南極に属し、その縁辺部をなすとしたほうがよいと思われる。東南極でのこのほかの顕著な山地は、昭和基地西方のクイーン・モード・ランドの海岸から200~300キロメートル内陸に分布する標高2000~3000メートルの山地(やまと山脈からセールロンダーネ山地を経てアールマンリッジに至る)と、氷下にすべて埋もれた最高3000メートルあるとされる内陸のガンブルツェフ山地、それにランバート氷河に沿うやはり2000~3000メートルのプリンス・チャールズ山脈である。昭和基地東方のエンダビー・ランドにも1000メートル台ではあるが多くの山塊がある。ガンブルツェフ山地については不明であるが、クイーン・モード・ランドの山地はいずれも断層地塊の性質をもち、中生代ジュラ紀に始まるゴンドワナ大陸の分裂に関係してその形成が始まったらしい。プリンス・チャールズ山脈も断層山地で、ここではとくに東南極大陸中の最大の断裂陥没帯に沿って形成されている。なお、これらの山地の隆起の原因の一つに、氷河が山地を侵食して岩盤の荷重が減少し、そのため地殻均衡的(アイソスタティック)に山地が上昇するという説がある。
 一方、東経90度あたりから東方へは広く海面より低い基盤があって、西方の高い基盤とかなり明確な地域差をみせている。とくにここにはウイルクス、ビンセンズ、オーロラなどの海面下1000メートルを超える氷床下の大きな盆地や、ピーコック、アドベンチャーなどの氷床下の細長い低地(トレンチ)がある。これらも断層運動によって生じ、氷床の侵食で拡大されたものらしい。ここで、東方の低い地域が4億5000万~6億5000万年前の変動をほとんど受けていない基盤岩からなるのに対して、西方の高い地域がこの変動を広く受けたところであるとの指摘がある。しかし、現在の地形に現れるような地殻変動が、このように古い時代にまでなんらかの関係をもつかどうかわかっていない。
 西南極は海面下の基盤が広く、各所に小さい高まりが複雑な配置をなしている。小さいプレートの集まりであろうと考えられている。
 ゴンドワナ大陸からの南極大陸の分離が完了する第三紀の初めごろから、南極大陸の寒冷化が始まった。これ以後の氷床の発達の歴史は、基盤岩に刻まれた氷食地形や、陸上や周辺の海に堆積した堆積物で探られている。南極大陸が大きな氷床に覆われるようになったのはいつごろであるかはまだかならずしも明らかではないが、4000万年前にはすでにかなりの氷床があったらしく、遅くとも3000万年前には現在のような氷床となったと考えられている。しかし、氷河史の詳細を知るにはなお資料が不足である。1983年ごろ、それまで少なくとも最近の1500万年間ほどは安定的に存在し続けてきたと考えられていた東南極氷床が、何度かかなり融解した時期があり、現在の氷床はここ300万年以内に再生したものであるという説が、南極横断山地のかなり高所に見られる氷河堆積物(シリウス層)の分析によって提唱された。その論拠とされる地層中の海生微化石は、沿岸から飛来して陸上にある地層に取り込まれたのであろうとされ、氷床の大規模な変動説に対する反対もあるが、木片化石の存在や2002年の地層分析の結果をみても、温暖な時期があったと思われる。その温暖氷床は第四紀に入り寒冷氷床となり、その拡大、縮小はおもに北半球の氷床が拡大、縮小することで生ずる海面の世界的な昇降に支配されるようになったとされる。すなわち、海面が下がれば陸地が拡大して南極の氷床が拡大し、上昇すれば氷床は縮小するという。一方、海岸に近い山地にかかる小さい氷河は、南極氷床が拡大すれば海からの距離が遠くなり、水蒸気の供給(降雪による涵養)が減少して縮小するので、氷床の拡大、縮小とは逆の方向の発達の仕方をする。
 氷床はまた、長年にわたる降雪や大気中からもたらされる降下物質を蓄えているので、氷を分析することにより、過去の大気中でのできごとを知ることができ、氷床の掘削コアは「地球環境のタイムカプセル」ともいわれる。1990年代に行われたロシアのウォストーク基地での深さ3623メートルまでの掘削では42万年前までの、そしてドームふじ観測拠点での2503メートルまでの掘削では34万年前までの気温や大気中の二酸化炭素量の変動が明らかにされた。二酸化炭素量は寒冷期(氷期)で少なく、温暖期(間氷期)で多く、その変動はみごとに気温の変動に重なる。過去の変動はおよそ200ppmから300ppmまでの幅に収まっているが、これは現在のすでに360ppmを超えなお増え続ける大気中の量が、地球温暖化の危険な信号であることを教えてくれるのである。なお、ウォストーク基地付近には氷床の下に深さ500メートルにおよぶ湖があると推定されており、その調査をいかに行うかが科学者の関心を集めている。[吉田栄夫]

気象

南極大陸の気候は、高緯度地域を占めること、太陽からの日射の多くを反射してしまう雪に地表が広く覆われていること、海抜高度が著しく高い大陸であることなどによって、きわめて寒冷である。南極全体を通じて雪面下10メートルの雪温はほぼ年平均気温に相当し、調査旅行での測定と、アムンゼン‐スコット基地(極点基地)をはじめとするいくつかの内陸基地での観測によって、南極大陸の年平均気温のおよその分布が知られている。年平均気温は標高が増すにつれてかなり直線的に低くなり、年平均気温の分布は、氷床の等高線によく似たものとなる。ロシアのウォストーク基地(標高3488メートル)では、年平均零下55.5℃であり、1983年7月21日には零下89.2℃の地球上での最低気温の極値が記録された。標高3810メートルのドームふじ観測拠点では、95年から3年間に年平均気温零下54.3℃、最高気温零下18.6℃、最低気温零下79.7℃を記録している。標高2230メートルのみずほ基地では7年間の記録で年平均気温零下32.5℃である。沿岸では標高が低く、海(海水は零下1.9℃以下とならない)があって気温は比較的温和で、昭和基地では年平均零下10.5℃、最高気温の極値は10.0℃に達したことがある。最低気温の極値は零下45.3℃の記録がある。南極大陸のこのような地上気温は、地表付近の強い気温の接地逆転に支配されている。たとえばみずほ基地では冬季20℃を超える逆転が観測されるのである。
 南極大陸の地表風で特徴的なものは、斜面下降風(カタバチック風)とよばれる風で、大陸上で冷却された大気は大陸斜面をなだれ落ちて海岸に向かって吹き、ときには風速は毎秒50メートルに達することがある。この風は海岸に達するとジャンプして、大陸沿岸から数キロメートル離れると地表に対する影響が小さくなる。昭和基地は大陸沿岸から5キロメートルほど離れた東オングル島にあるので、隣の大陸末端に位置するロシアのマラジョージナヤ基地の年間平均風速の毎秒10.3メートルに比べ、毎秒6.5メートルとかなり弱い風速である。みずほ基地は寒冷カタバチック気候帯といわれるような地域に位置し、毎秒10.6メートルと強い。アデリー・ランドのデニソン岬付近はもっとも風の強いところといわれ、年間、毎秒19.5メートルおよび18.5メートル(それぞれ1912~13年、1951年)の平均風速を記録したことがあり、世界の風極といわれる。内陸の中心部では風は弱く、沿岸に比べると半分もしくはそれ以下の風速であるが、それでもかなり恒常的な風が吹き、とくに冬にやや顕著である。この風は地形と逆転層に支配されて吹くが、典型的な斜面下降風とは異なるとされる。
 南極大陸の周辺の海洋の南緯40度から60度にかけては、いわゆる「吼(ほ)える40度」「狂える50度」「絶叫する60度」で、偏西風帯を温帯性低気圧が発達しながら北西から南東へと進み、暴風圏をつくりだす。この低気圧は沿岸に至り、しばしば降雪と飛雪で激しい雪嵐(ゆきあらし)であるブリザードをもたらす。低気圧はときには大陸内部へも侵入する。昭和基地では1996年5月、瞬間最大風速毎秒61.2メートルを記録した。なお、大陸周辺では一般に極偏東風があり、斜面下降風が地球自転の転向力の影響を受けて南東寄りの風となるが、各地では地形の影響を受けてそれぞれ特有の風向が卓越する。たとえば昭和基地では70%が北東象限からの風であり、とくに強風はほとんどこの風向に限られる。
 降水はほとんど降雪の形であるが、昭和基地でもごくまれには雨が降ることがある。年間の積雪量(水換算にした蓄積量。降雪と飛雪を区別することはむずかしいが全体としてとらえて)は、内陸中心部で50ミリメートル以下のところがあり、沿岸では200~600ミリメートルとされている。
 1982年、昭和基地でのオゾン観測で、9月から10月にかけて上層のオゾン層の著しい減少がおきたことが観測された。昭和基地ではそれまでにも継続的なオゾン観測が行われていた。少し遅れてイギリス隊による観測成果も明らかにされ、オゾンホールと命名された。この南極の春先におこる現象は、以後年々範囲が広がり、生成期間も長くなっているとされる。この発見が契機となって、原因物質のフロンガスなどの世界的な規制が行われるようになった。[吉田栄夫]

南極大陸発見から南極条約まで

1772~75年のJ・クックの第2回航海で、初めて南極大陸の周航が行われ、南極圏突破がなされて南極大陸への道が開かれたといえるが、以来クジラやアザラシを求めて、あるいは新たな大地を探るため、南極探検が行われてきた。1820年には、イギリスのブランスフィールドEdward Bransfield(1795?―1852)、アメリカのパーマーNathaniel Brown Palmer(1799―1877)がそれぞれ南極半島を望見し、またロシアのベリングスハウゼンFabian Gottlieb von Bellingshausen(1778―1852。Thaddeus Thaddevich Bellingshausenのような表記もある。ロシア語読みはベリンスガウゼンFaddey Faddeevich Bellinsgauzen)が1819~21年に南極大陸を周航中アレキサンダー1世島を発見、現在のプリンセスマーサ海岸を望見した。また1821年アメリカのデービスJohn Davisは南極半島で人類初の南極大陸上陸を果たした。1830年代には、エンダビー・ランド、ウィルクス・ランドなどの発見があり、1839~43年にはイギリスのロス隊が初めて流氷帯を突破してロス海に入り、エレバス火山とロス島、ロス棚氷などを発見した。この後しばらく探検はとだえたが、1882~83年、極地の国際協力による科学調査が提唱され、第1回国際極年が実施され、南極では亜南極のサウス・ジョージア島でドイツ隊が越冬して気象や地磁気の観測を行った。
 1895年、第6回国際地理学会議は大要「南極地域の探検は地理学的探検としてなすべき重要なことであり、それによって得られる科学的知識という点からも、今世紀中にこれに着手するよう世界中の科学学会が力を尽くすように勧告する」という決議を行った。かくて新たな南極探検の時代が始まり、19世紀末から20世紀初頭にかけては、ノルウェー人ボルチグレビンクCarsten Egeberg Borchgrevinkが率いるイギリス隊が初めて大陸上で越冬したのをはじめ、スウェーデンのオットー・ノルデンシェルド(ノルデンショルド、ノーレンシェール)Nils Otto Gustav Nordenskjold(1869―1928)、イギリスのスコットやシャクルトン、ドイツのドリガルスキーErich Dagobert von Drygalski(1865―1949)らが越冬して、多くの科学的成果を得た。さらに、ノルウェーのアムンゼン隊が1911年12月14日、スコット隊が1912年1月17日南極点到達を果たし、この英雄時代とよばれる時期の頂点をなした。日本の白瀬隊も1911~12年、ロス棚氷やジョージ7世半島を探検し、開南湾、大隈(おおくま)湾を発見。1911~14年にはオーストラリアのモーソンSir Douglas Mawson(1882―1958)のアデリー・ランドでの活躍があった。
 1920年代から30年代には各国の海洋調査が行われ、また近代的な捕鯨が盛んとなった。ノルウェーは捕鯨とあわせて航空機を用いた沿岸の調査を広く行って、多くの地理的発見をもたらした。大陸での活動で特筆されるのはアメリカのバードで、1928~30年の第1回探検でロス棚氷の北東縁ホエールズ湾にリトル・アメリカ基地を建設し、29年11月29日には初めて南極点上空の飛行に成功するなど、探検の機械化時代到来を実現させた。なお、日本は1934~35年に初めて南極海での近代的捕鯨に参加した。
 第二次世界大戦後、アメリカはバード指揮の下に1946~47年海軍による大規模な探検を行い、ハイジャンプ作戦として多くの航空写真撮影を行った。1947~48年にはヘリコプターを利用してのウインドミル作戦を実施。47~48年アメリカのロンネFinn Ronne(1899―1980)が最後の私的探検隊ともいわれるような探検を行ったが、このときロンネEdith Ronne(隊長夫人)とダーリントンJennie Darlington(飛行士夫人)の2名の女性が初めて越冬した。1949~52年には南極氷床の変動の研究をおもな目的として、ノルウェー、イギリス、スウェーデン三国共同探検隊が組織され、クイーン・モード・ランド西部にモードハイム基地を設け、初めて内陸600キロメートルにわたり人工地震法による氷厚測定を行うなど、大きな科学的成果を収めた。
 1952年に国際学術連合会議(ICSU。現国際科学会議)は、1957~58年に実施する国際地球観測年(IGY)では、南極地域での観測に重点を置くこととした。1882~83年の第1回国際極年の経緯からしても、また地球物理学的な面からも当然のことであろう。1955年には各国とも活発な準備に入り、日本もこの年11月南極観測参加を決定した。このとき南極観測に参加した国はアルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、チリ、フランス、日本、ニュージーランド、ノルウェー、南アフリカ共和国、イギリス、アメリカ、ソ連(現在はロシア)の12か国であった。ちょうどこのとき、イギリスのフックスVivian Ernest Fuchs(1908―99)はニュージーランドのヒラリーの協力を受けウェッデル海から南極点を経てロス海まで、南極大陸横断に成功し、シャクルトンの夢を果たした。日本は1956年11月第一次南極観測隊を観測船宗谷(そうや)で送り出し、翌年2月リュツォ・ホルム湾の東オングル島に昭和基地を開設し、以後58年3月から59年1月まで、および62年2月から65年12月までの閉鎖期間を除き、各国と協力して超高層物理学、気象学、雪氷学、地学、生物学など総合的な調査・研究を行っている。みずほ基地(1970年建設)、あすか観測拠点(1985年建設、2004年あすか基地と改称)、ドームふじ観測拠点(1995年建設、2004年ドームふじ基地と改称)を内陸に設け、気象、雪氷、地学などの観測を、短期間の越冬や夏期間の利用で行ってきた。やまと山脈周辺の青氷地帯からは、これまで1万4200個におよぶ各種の隕石(いんせき)が採集され、世界中の科学者による研究が行われている。
 アメリカはかねてから南極大陸の国際法上の地位について関心をもち、領土権主張の重なるところのある南極の国際的な安定を一つの目標として、国際地球観測年での国際的な協力の成功を背景に、領土権主張の棚上げを核とし、学術調査の自由の保証と国際協力、環境の保護などの条項からなる南極条約の締結を主導した。1959年12月1日、国際地球観測年の南極観測に参加した12か国はこれに調印し、61年6月23日に条約の発効をみた。その後、資源問題や環境問題が生起するなかで加盟国が増え、2007年現在、原署名国12か国を含めて46か国が締約国となっている。このうち実質的に南極観測を行い、南極での意思決定に参加できるいわゆる協議国の地位をもつ国は、原署名国をあわせて28か国となっている。南極観測はこの南極条約の傘の下に行われているが、環境問題や資源問題と関連して南極あざらし保存条約(1972年調印)、南極海洋生物資源保存条約(1980年調印)、南極鉱物資源活動規制条約(1988年調印されたが発効の見込みはたたず、実際上廃案といってよい)などが締結された。さらに環境保護強化の動向を受けて、1991年「環境保護に関する南極条約議定書」が調印され、98年発効した。これにより南極地域における諸活動が、環境保護の観点から広く規制されるようになった。日本は1997年に批准し、国内法として同年に南極環境保護法を制定している。なお、これらは南極条約システムとよばれることがある。[吉田栄夫]

生物

氷雪に広く覆われる厳しい自然の支配する南極地域では、陸上においては露岩地域で乏しい生物相がみられるのみであり、ここで繁殖する鳥類も海に生活を大きく依存するが、周辺の海域では多彩な生物相がみられる。[吉田栄夫]
動物相
南大洋の生態系の核となるのはナンキョクオキアミとされる。ナンキョクオキアミは珪藻(けいそう)類を主とする植物プランクトンを餌(えさ)として繁殖し、ヒゲクジラ、カニクイアザラシ、海鳥類、魚類、頭足類などに捕食される。オキアミは将来の人類のタンパク質資源としても注目されており、その生態系に占める役割、資源量、資源量を損なうことなく漁獲できる許容量などの調査が、南極海洋生物資源の国際協力による調査の一環として行われている。資源量はある算定によれば10億~30億トンとされている。漁獲は1960年代から始まっているが、漁獲許容量と推定されている年間7000万~1億トンに比べれば年間20万トン程度で、資源量への影響は現在のところほとんどないといわれる。しかし、生態系のバランスを崩すおそれを心配する声もある。
 沿岸の底生生物には、ウニ、ヒトデ、カイメン、ヒモムシ、ホヤ、ウミユリ、二枚貝、巻き貝、スゴカイ、あるいは紅藻類や石灰藻など多種のものがいる。また、南極周辺には約110種の魚が分布するといわれ、なかでもノトセニア科が卓越し、そのなかではトレマトムス属が主として沿岸に、ノトセニア属がより北方に分布する。昭和基地ではショウワギス、ボウズハゲギスなど12種ほどの魚類が採集されている。これら底生生物や魚類には南極固有種が多く、魚類では83%に達する。これは、南極が深い海と南極収束線で隔絶されていること、底生生物の多くが浮遊性の幼生期をもたないことなどによるとされる。海鳥類はペンギンと飛翔(ひしょう)性の鳥で、南極大陸に関係をもつペンギンはアデリーペンギン、エンペラーペンギン、ヒゲペンギン、ゼンツーペンギンの4種である。アデリーペンギンは冬季には沖合いの流氷帯で過ごし、夏季沿岸の露岩上の集団営巣地で卵を産んで雛(ひな)を育てる。南極での総個体数は約2700万羽とされる。エンペラーペンギンは冬季沿岸の海氷上に営巣地をつくり繁殖する。総個体数は約57万羽にすぎない。ほかの2種は大陸では南極半島にほぼ限られる。ほかの海鳥はアホウドリ科、ミズナギドリ科、ウミツバメ科、トウゾクカモメ科など約40種がいるが、南極半島を除く大陸で繁殖するのはフルマカモメ、ユキドリなど10種とされる。昭和基地付近に飛来するのはユキドリ、ナンキョクオオトウゾクカモメ、ナンキョクフルマカモメ、アシナガコシジロウミツバメである。海産哺乳(ほにゅう)類では鰭脚(ひれあし)類と鯨類が南極の海にみられる。鰭脚類はほぼ年間を通じて海氷域で生活するいわゆる南極アザラシとして、ウェッデルアザラシ、カニクイアザラシ、ヒョウアザラシ、ロスアザラシの4種と、亜南極の島を中心に分布するミナミゾウアザラシおよびミナミオットセイである。総数は約1700万頭とされる。鯨類はヒゲクジラ類のシロナガスクジラ、ナガスクジラ、イワシクジラ、ミンククジラ、ザトウクジラ、セミクジラ、ピグミーシロナガスクジラの6種1亜種と、マッコウクジラ、シャチなどのハクジラ類9種である。いずれも南大洋の固有種ではなく回遊するが、ミンククジラは年間を通じて南大洋にすむことがわかった。[吉田栄夫]
植物相
南極圏の植物相は北極圏と比較するときわめて貧弱である。南極大陸の植生は蘚苔(せんたい)類と地衣類が主体で、種子植物は、南極半島にナンキョクミドリナデシコColobanthus quitensisとナンキョクコメススキDeschampsia antarcticaの2種類が分布するだけである。蘚苔・地衣類も世界の寒冷地に広く分布する種類が大部分で、固有の種類はごく少ない。南極海に点在するサウス・サンドイッチ諸島、サウス・オークニー諸島などにはナンキョクコメススキ、ウシノケグサ類、アゾレラAzorella(セリ科)、アカエナAcaena(バラ科)などの密生した植生があり、ケルグレン島にはプリングレアPringlea(アブラナ科)、ルヤリアLyalia(ナデシコ科)という固有属が知られている。さらに北方のパタゴニア南部などの亜南極に至るとナンキョクブナNothofagusの森林がみられる。これら南極と亜南極地域は植物地理上、一括して南極植物区系界とされる。古生代末から中生代にかけての南極大陸は、熱帯的な環境で、木生シダ類、ついでシダ種子類が繁栄していた。また、中生代から第三紀にかけての南極大陸の西部は、ニュージーランド、南米の南端部と一連の陸地となり、ナンキョクブナなどの特有な種属はこの時期に形成されたと考えられている。なお、ガンコウラン属のように南極圏と北極圏とに飛び離れて分布する植物群もいくつか知られている。[大場達之]
『楠宏他編『南極』(1973・共立出版) ▽国立極地研究所編『南極の科学』全9巻(1983~91・古今書院) ▽南極探検後援会編『南極記』(1913/復刻版・1986・成功雑誌社) ▽V・E・フックス、E・ヒラリー著、山田晃訳『南極横断』上下(1959・光文社) ▽L・カーワン著、加納一郎訳『白い道――極地探検の歴史』(1971・社会思想社) ▽NHK取材班著『南極取材記』(1979・日本放送出版協会) ▽国立極地研究所編『南極科学館――南極を見る・知る・驚く』(1990・古今書院) ▽神沼克伊著『南極100年――地球上のパラダイスをめざして』(1994・ほるぷ出版) ▽バーナード・ストーンハウス著、神沼克伊・三方洋子訳『北極・南極――極地の自然環境と人間の営み』(1996・朝倉書店) ▽白瀬矗著『私の南極探検記』(1998・日本図書センター) ▽中田修著『南極のスコット』(1998・清水書院) ▽池島大策著『南極条約体制と国際法――領土、資源、環境をめぐる利害の調整』(2000・慶応大学出版会) ▽坂野井和代・東野陽子著『南極に暮らす――日本女性初の越冬体験』(2000・岩波書店) ▽NHK出版編・刊『南極からのメッセージ――地球環境探索の最前線』(2000) ▽大場満郎著『南極大陸単独横断行』(2001・講談社) ▽平山善吉著『南極・越冬記』(2001・連合出版) ▽キャロライン・アレグザンダー著、畔上司訳『エンデュアランス号――シャクルトン南極探検の全記録』(2002・ソニー・マガジンズ) ▽神沼克伊監修・著、麻生武彦・渡邊研太郎他著『北極と南極の100不思議』(2003・東京書籍) ▽国立極地研究所編『南極・北極の百科事典』(2004・丸善) ▽木崎甲子郎著『南極大陸の歴史を探る』(岩波新書) ▽西堀栄三郎著『南極越冬記』(岩波新書) ▽斎藤清明著『南極発・地球環境レポート――異変観測の最前線から』(中公新書) ▽ロアルド・アムンゼン著、谷口善也訳『南極点征服』(中公文庫) ▽アプスレイ・チェリー・ガラード著、加納一郎訳『世界最悪の旅――スコット南極探検隊』(中公文庫) ▽永延幹男著『南極海 極限の海から』(集英社新書)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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