斎藤長定(読み)さいとう・ながさだ

朝日日本歴史人物事典 「斎藤長定」の解説

斎藤長定

没年:延応1.10.11(1239.11.8)
生年:建久8(1197)
鎌倉初・中期に幕府評定衆などを務めた実務家。藤原利仁子孫清定の子。法名浄円,斎藤兵衛入道を名乗る。嘉禄1(1225)年12月,評定衆設置に際して文人系官僚としてこれに加えられ,貞永1(1232)年,御成敗式目制定には起草者のひとりとして参与し,また評定衆連署起請文の草案を作成したとされる。さらに同年12月には鎌倉政権草創以来の散逸した重書の収集と目録作成を命ぜられ,暦仁1(1238)年には地頭職をめぐる一連の追加法制定の奉行を務めるなど,文書管理能力に長けた実務家として重んぜられた。<参考文献>竜粛鎌倉時代』上

(新田一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤長定」の解説

斎藤長定 さいとう-ながさだ

1197-1239 鎌倉時代の幕府官僚。
建久8年生まれ。嘉禄(かろく)元年幕府評定衆が創設されて以来の評定衆。貞永(じょうえい)元年に制定された幕府の基本法「御成敗式目」の起草者のひとりで,評定衆連署起請文(きしょうもん)の草案も作成したといわれる。延応元年10月11日死去。43歳。通称は斎藤兵衛入道。法名は浄円。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の斎藤長定の言及

【斎藤氏】より

…(2)鎌倉・室町両幕府の奉行人を務めた斎藤氏。先祖は未詳だが,幕府初期より幕政に参加し,1225年(嘉禄1)評定衆に就任した斎藤長定以降,幕府奉行人を輩出した。また六波羅探題検断方にも鎌倉後期に斎藤基明なる奉行人が見え,のち室町幕府奉行人家の斎藤氏はおそらくこの系統であろう。…

※「斎藤長定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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