朝日日本歴史人物事典 「斎藤長定」の解説
斎藤長定
生年:建久8(1197)
鎌倉初・中期に幕府評定衆などを務めた実務家。藤原利仁の子孫。清定の子。法名浄円,斎藤兵衛入道を名乗る。嘉禄1(1225)年12月,評定衆設置に際して文人系官僚としてこれに加えられ,貞永1(1232)年,御成敗式目制定には起草者のひとりとして参与し,また評定衆連署起請文の草案を作成したとされる。さらに同年12月には鎌倉政権草創以来の散逸した重書の収集と目録作成を命ぜられ,暦仁1(1238)年には地頭職をめぐる一連の追加法制定の奉行を務めるなど,文書管理能力に長けた実務家として重んぜられた。<参考文献>竜粛『鎌倉時代』上
(新田一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報