斎藤長定(読み)さいとう ながさだ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤長定」の解説

斎藤長定 さいとう-ながさだ

1197-1239 鎌倉時代幕府官僚。
建久8年生まれ。嘉禄(かろく)元年幕府評定衆が創設されて以来の評定衆。貞永(じょうえい)元年に制定された幕府の基本法「御成敗式目」の起草者のひとりで,評定衆連署起請文(きしょうもん)の草案も作成したといわれる。延応元年10月11日死去。43歳。通称は斎藤兵衛入道。法名は浄円

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の斎藤長定の言及

【斎藤氏】より

…(2)鎌倉・室町両幕府の奉行人を務めた斎藤氏。先祖は未詳だが,幕府初期より幕政に参加し,1225年(嘉禄1)評定衆に就任した斎藤長定以降,幕府奉行人を輩出した。また六波羅探題検断方にも鎌倉後期に斎藤基明なる奉行人が見え,のち室町幕府奉行人家の斎藤氏はおそらくこの系統であろう。…

※「斎藤長定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む