朝日日本歴史人物事典 「新渡戸伝」の解説
新渡戸伝
生年:寛政5(1793)
江戸後期,陸奥国三本木(十和田市)の開発者。盛岡(南部)藩士新渡戸維民の子として花巻に生まれる。幼名縫太,諱常澄,字浣郷。太素と号した。山奉行,三戸代官,勘定奉行などを歴任し,岩手,志和,稗貫,和賀郡内の開墾諸事業に成功したのち,子の十次郎と共に安政2(1855)年から10年がかりで広大な三本木原台地の開拓に着手,稲生川用水を完成し,慶応1(1865)年には開発高970石余に達した。明治2(1869)年,七戸藩の家老として維新後の処理に当たり,それまで江戸定住で領地のない定府であった南部信民の所領が文久3(1863)年以来存在したものとして届け出,領地を確定した。『太素日記』『太素漫筆』などの著書がある。新渡戸記念館(十和田市)に開拓資料が所蔵されている。新渡戸稲造は孫。<参考文献>新渡戸十次郎『三本木平開業之記』,『百石町誌』下
(細井計)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報