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新渡戸伝 にとべ つとう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

新渡戸伝 にとべ-つとう

1793-1871 江戸時代後期の武士。
寛政5年11月7日生まれ。新渡戸稲造の祖父。陸奥(むつ)盛岡藩士。山奉行,勘定奉行などを歴任。安政2年次男の十次郎とともに三本木原(青森県十和田市)の開拓に着手,用水路開削・農地拡大・産業振興につとめた。明治4年9月27日死去。79歳。名は常澄(つねずみ)。字(あざな)は浣郷。号は太素。

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朝日日本歴史人物事典の解説

新渡戸伝

没年:明治4.9.27(1871.11.9)
生年:寛政5(1793)
江戸後期,陸奥国三本木(十和田市)の開発者。盛岡(南部)藩士新渡戸維民の子として花巻に生まれる。幼名縫太,諱常澄,字浣郷。太素と号した。山奉行,三戸代官,勘定奉行などを歴任し,岩手,志和,稗貫,和賀郡内の開墾諸事業に成功したのち,子の十次郎と共に安政2(1855)年から10年がかりで広大な三本木原台地の開拓に着手,稲生川用水を完成し,慶応1(1865)年には開発高970石余に達した。明治2(1869)年,七戸藩の家老として維新後の処理に当たり,それまで江戸定住で領地のない定府であった南部信民の所領が文久3(1863)年以来存在したものとして届け出,領地を確定した。『太素日記』『太素漫筆』などの著書がある。新渡戸記念館(十和田市)に開拓資料が所蔵されている。新渡戸稲造は孫。<参考文献>新渡戸十次郎『三本木平開業之記』,『百石町誌』下

(細井計)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の新渡戸伝の言及

【奥入瀬川】より

…中流部では灌漑用水として三本木原の耕地をうるおしている。この用水路は1855年(安政2)南部藩士新渡戸伝(にとべつとう)・十次郎父子によって開かれた。またサケの上る川で,十和田市相坂に孵化(ふか)場がある。…

【三本木原】より

…火山灰の堆積による台地で,かつては水利の悪い原野であった。1855年(安政2)南部藩士新渡戸伝(にとべつとう)(稲造の祖父)が,この原野に奥入瀬(おいらせ)川の水を引き,その子十次郎との親子2代の努力によって灌漑水路(稲生(いなおい)川)が完成してから開拓が進んだ。明治以降も,開拓は民営で受け継がれたが,冷害に脅かされるこの地方ではアワ,ヒエなどの雑穀と牧馬に依存せざるを得ず,第2次世界大戦前までは軍馬に充てる南部馬の産地として知られた。…

※「新渡戸伝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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