日本歴史地名大系 「新田柵」の解説 新田柵につたのき 宮城県:遠田郡田尻町新田柵按察使鎮守将軍大野東人が遠征するにあたり、当柵など五柵に兵を配するなど、いわゆる天平五柵の一つで、律令国家によって大崎(おおさき)平野の北東部を治めるため造営された城柵。「続日本紀」天平九年(七三七)四月一四日条に「判官正六位上大伴宿禰美濃麻呂鎮新田柵」とある。所在地については登米(とめ)郡迫(はさま)町新田説と当町の八幡(やわた)・小松(こまつ)・大嶺(おおみね)説がある。当地説は町北西部の標高五〇メートルほどの丘陵群天狗堂(てんぐどう)山・小松・八幡・大嶺山一帯とし、昭和三六年(一九六一)興野義一によって唱えられた。根拠として当地が当時新田郡に属していたとみられ、地形的にも城柵にふさわしいこと、一帯から最古式(多賀城創建期)の重弁蓮華文軒丸瓦や重弧文軒平瓦、平安時代の軒瓦、および土師器・須恵器が出土すること、付近に新田郡の式内社である子松(こまつ)神社跡とみられる遺跡があることなどがあげられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by