新発田城跡(読み)しばたじようあと

日本歴史地名大系 「新発田城跡」の解説

新発田城跡
しばたじようあと

[現在地名]新発田市大手町六丁目

新発田川の河岸段丘上にあり、かつては北から西にかけて広い湿地帯に臨んでいた。戦国期、揚北あがきたの有力国人であった新発田氏の居城であり、近世には新発田藩溝口氏が新たに縄張りして築城、明治維新までその居城であった。新発田氏は加地かじ庄地頭佐々木氏の一族で、上杉謙信の時代には重く用いられ、御館の乱に際しては揚北の国人衆を結集して上杉景勝に味方した。しかし、乱後の論功行賞を不当とする新発田重家と上杉景勝との間に抗争が生じ、六年間に及ぶ新発田合戦が続いた。天正一五年(一五八七)九月、景勝は赤谷あかだにせきみね城を落して重家への会津蘆名氏の支援を絶ち、一〇月二四日、重家の一族、五十公野道如斎の拠る五十公野いじみの城を攻略、翌二五日新発田城を攻め落した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報