新見河岸(読み)にいみかし

日本歴史地名大系 「新見河岸」の解説

新見河岸
にいみかし

[現在地名]新見市新見

高梁たかはし川左岸の三日市さんがいちにあった河岸。高梁川の舟運は古くから行われていたが(→三日市庭、水谷氏が松山まつやま(現高梁市)に入封後は、松山藩によって船路が再開発された。正保元年(一六四四)松山から法曾ほうそ井高いたかまで、同三年金谷かなや川之瀬かわのせまで、承応元年(一六五二)には三日市・今市いまいちまで通じた。井高には松山藩の船番所が置かれ、井高より上流から下る新見船・川之瀬船の積荷はここで井高船に積替えさせ、井高から下ることは許されなかった。また井高の船も松山河岸までと定められていた(「河岸船路履歴」近藤文書)。松山藩は水谷氏時代からのこの継船法を踏襲していたため、新見藩では元禄一一年(一六九八)、新見村庄屋太左衛門と新見町年寄割鉄屋源兵衛を松山に差向け、松山船支配紙屋伝兵衛と交渉させた。この結果、新見藩の米・鉄・材木などを積んだ新見藩公用船に限り、河口連島つらじま(現倉敷市)まで直通することが認められた。しかし公用船も松山で一艘につき一匁二分五厘の運上を課せられ、公用船以外は従来の継船法によるとされた(紙屋伝兵衛書状控「高瀬舟一巻」井上文書)。連島からの登せ荷は塩が多かった。なお新見船・川之瀬船は松山藩板倉氏時代になると松山までの就航が認められた(高梁市の→松山河岸

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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