日本大百科全書(ニッポニカ) 「方以智」の意味・わかりやすい解説
方以智
ほういち
(1611―1671)
中国、明(みん)末清(しん)初の思想家。安徽(あんき)省桐城の人。字(あざな)は密之(みつし)、号は浮山愚者。代々著名な学者を出し、易学を家学とする彼の家庭環境、時あたかもイエズス会士によるヨーロッパの学問紹介の最盛期という時代環境(彼自身アダム・シャール〈湯若望〉と親交があった)、そして幼いころからの旺盛(おうせい)な懐疑探求精神、これらの諸条件が「質測(しっそく)」の学(当時の全学問分野)と「通幾(つうき)」の学(根本法則を探究する哲学)の結合からなるスケールの大きい百科の学を形成した。通幾は質測のなかで探究されるとした両者の結合の成果は、『物理小識』や『通雅』に結実したが、ヨーロッパ諸学をも取り入れたこれらの百科全書は二つとも江戸時代の日本で大いに読まれた。しかし明の滅亡は、34歳の彼の生活を一変させた。清朝に屈するのを潔しとしなかった彼は、追っ手を逃れて梧(ご)州で出家し(入禅)、以後彼の関心は儒・仏・道三教合一による通幾の探究に向かった。その成果は魅力的で難解な『東西均』という哲学書に結実した。
[小川晴久 2016年2月17日]