中国,清朝を建てたツングース系の民族。中国では満族という。1978年の時点で遼寧省内に142万人,吉林・黒竜江省および全国各地に123万人が居住し,80%以上が農業に従事していた。1980年代に入って中国の民族政策が柔軟化し,非漢族が優遇されるようになると,〈満族〉と名乗り出る者が増え,1990年センサスでは985万人に及んだ。かつては固有の言語と文字を用いていたが(満州語),現在はほとんど使われず中国語が用いられている。シャーマンを信仰し,18世紀末までは祭祖・祭天の行事が盛んにおこなわれた。
満州(洲)の名称は清朝太祖時代,みずからの国をマンジュ国と称したことに始まり,太宗時代に民族名および地域名として定着した。満州の範囲は,もともとはみずからの居住する遼寧省内の狭い地域を指したが,国勢の拡大につれてひろがり遼寧,吉林,黒竜江省および沿海州地方をさすようになった。満州の名称は明代の女真人の間で尊崇された文殊信仰に由来するとの説が有力である。
満州には古来から数多くの国家や部族が興亡した。春秋時代の古書には粛慎という住民がいたことが記され,前4~前3世紀には貊(はく)人や濊(わい)人が住み,前2世紀にはこの地方の土着民の間から夫余国がおこり前1世紀末から7世紀にいたるまで高句麗が栄え,また挹婁(ゆうろう)人の後身といわれる勿吉(もつきつ)人も高句麗北方に国を建てた。高句麗滅亡後はその遺民や靺鞨(まつかつ)人が中心となり渤海国をおこしたが926年,遼に滅ぼされた。こうした諸部族が満州族と系譜上つながるものかどうか明確でない。渤海滅亡後,その住民は女真または女直と呼ばれ,1115年金国を建てた。1234年金がモンゴルに滅ぼされると,女真人は元の遼陽等処行中書省の治下に入り,明代では奴児干(ヌルガン)都司の管轄下に入った。この女真人が満州族の直接の先祖で,17世紀初めころ彼らのあいだからヌルハチが立ち,女真人を統合し,後金国を建て清国の基礎を築いた。
執筆者:河内 良弘
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…つまり人為的原因による砂漠化が進行しているわけで,風砂の害から住宅や耕地を守るため大防護林帯が本省西部に作られている。 本省東部は,かつては満州族およびその前身にあたる諸部族の活動の舞台であった。約3000年前の周代に長白山地北部一帯で活動していた粛慎(しゆくしん),漢代の挹婁(ゆうろう)などは,満州族の最も早い前身とされ,森林地帯内部で狩猟を営んでいたが,これが本省の住民の最も古いものである。…
…中国の東北(満州)地方から興った満州族(漢人,漢族に対して満人,満族とよばれる)の王朝。1616‐1912年。…
…以上の諸民族は言語のほかにもシラカバ樹皮でつくる円錐形天幕(チュム),舟,揺籃や前開き外套,胸当て・腰当ての組合せによる衣服,共通の氏族の名称,シャマニズムなど,共通の文化要素を長く保持してきたことが知られる。ソロン族はエベンキ族の一派であるが,言語・文化の上で隣接する満州族やモンゴル族の影響を受け,馬を飼い牧畜を営み,今日では内モンゴル(蒙古)自治区に居住する。満州族は古く中国東北部に定住し農耕に従っていたが,17世紀以降,著しく漢民族と同化した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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