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百科全書 ひゃっかぜんしょEncyclopédie ou Dictionnaire raisonné des sciences, des arts et des métiers

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

百科全書
ひゃっかぜんしょ
Encyclopédie ou Dictionnaire raisonné des sciences, des arts et des métiers

フランスの百科事典ディドロダランベールの編集により,1751~72年刊。 28巻 (本文 17巻,図版 11巻) 。さらに 76~77年補遺5巻,80年に索引2巻が別の編者により出版された。

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デジタル大辞泉の解説

ひゃっか‐ぜんしょ〔ヒヤククワ‐〕【百科全書】

百科事典」に同じ。
[補説]書名別項。→百科全書

ひゃっかぜんしょ【百科全書】[書名]

《原題、〈フランスEncyclopédie, ou Dictionnaire raisonné des sciences, des arts et des métiers》フランスの百科事典。本編17巻、補遺5巻、図版11巻、索引2巻。ディドロダランベールの監修。1751~80年刊。フランス啓蒙思想集大成であり、近代合理主義の立場による知識の普及に大きな役割を果たした。

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百科事典マイペディアの解説

百科全書【ひゃっかぜんしょ】

英国の《チェンバーズ百科事典》に刺激され,ディドロダランベール,ジョクールらを中心に編纂(へんさん)されたフランスの百科事典。本巻17巻(6万600項目),補巻5巻,図版11巻,索引2巻。
→関連項目クセジュ文庫ケネーコンドルセチェンバーズ百科事典ドルバック百科事典

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世界大百科事典 第2版の解説

ひゃっかぜんしょ【百科全書 Encyclopédie】

ディドロとダランベールを編集責任者とし,264人の執筆者の協力によって成立したフランス18世紀の大百科事典(正式表題《一群の文筆家によって執筆された百科全書,あるいは科学・技芸・手工業の解説辞典Encyclopédie ou Dictionnaire raisonné des sciences,des arts et des métiers,par une société de gens de lettres》)。

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大辞林 第三版の解説

ひゃっかぜんしょ【百科全書】

百科事典 」に同じ。
書名(別項参照)。

ひゃっかぜんしょ【百科全書】

フランスの百科事典。本編一七巻、補遺五巻、図版一一巻、索引二巻。1751~80年刊。ディドロ・ダランベールの監修の下に、当時の啓蒙的・進歩的執筆者を結集して完成し、フランス革命の思想的準備をなしたとされる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

百科全書
ひゃっかぜんしょ
Encyclopdie

明治初期に、あらゆる学問の組織的な総集または百科事典の意味に用いられたことば。現在では、フランスのディドロ編と、明治初期文部省編の百科事典をさしていうことが多い。[彌吉光長]

フランス

18世紀、イギリスではブルジョアジー勃興(ぼっこう)に支持されてチェンバーズの『百科事典』が成功したので、銀行家のミルズはこれをフランスで翻訳刊行しようとパリのル・ブルトンに交渉したが意見があわなかった。しかし、ル・ブルトンは計画をあきらめず、ついにディドロに編集を依頼、彼は1746年に編集に関係し、友人のダランベールも誘って共同編集とした。ときにディドロは33歳、ダランベール29歳であった。ダランベールは若いながらアカデミー会員であり、ボルテール、モンテスキュー、ビュフォン、ケネー、ルソー、コンディヤックに寄稿を引き受けさせることに成功、1750年に予約募集し、翌年第1巻を発行した。この進歩的啓蒙(けいもう)事典の出現に新興の商人階級や思想家は賛成したが、貴族と僧侶(そうりょ)の上層階級には反対が多く、また極右のイエズス会の圧迫が激しかった。両勢力の対抗の間に出版は進み、これら寄稿者たちは百科全書派(アンシクロペディスト)encyclopdistesとよばれるようになった。ところが、第7巻にダランベールの「ジュネーブ」が出るとルソーは怒って脱退し、さらに1759年、出版特許を取り消されて寄稿家の大部分が脱退、ダランベールも抜け、残ったのはディドロと学者ジョクールLouis Chevalier de Jaucourt(1704―79)だけとなり、ついには地下印刷という最悪の事情のもとに無償の働きを余儀なくされ、財産も売り払って書記らの給料を払った。こうした種々の困難を切り抜けて、1772年についにこの『百科全書』Encyclopdie, ou dictionnaire raisonn des sciences, des arts et des mtiers, par une socit de gens de lettresが完成、本文17巻と図版11巻であった。これが大歓迎を受けたので、パンクークC. J. Panckoucke(1736―98)は続巻を計画、ディドロは老年(60歳)のため辞し作家マルモンテルJean-Franois Marmontel(1723―99)が引き受けて本文4巻、図版1巻、索引2巻(1776~80)を完成した。[彌吉光長]

日本

明治初期に出版された文部省訳の百科事典をいう。原本はチェンバーズ編『国民知識事典』Information for the Peopleの第5版2巻(無刊記)。文部省編輯(へんしゅう)寮頭箕作麟祥(みつくりりんしょう)が東京中の英語学者に分担させて翻訳させ、1874年(明治7)から分野ごとに出版していったものである。74年には経済編、養生編、交際編、医学編、商業編など10編ができた。翻訳の困難さのなかでもとくに抽象的な術語を案出するのに時間がかかり、訳出返上を申し出る者が続出して、箕作らが担当せざるをえなかった。箕作は「自然神学」「教育学」「道徳学」を訳し、また、数学者菊池大麓(だいろく)は「修辞及華文」を、大槻文彦(おおつきふみひこ)は「印刷術及石版術」を訳した。財政の都合で84年に93巻で打ち切られたが、この刊行は民間に提供されて、有隣堂は78年から86年に20巻で発行した。また、丸善は不足を補訳して、83年から85年に索引とも全3巻で予約出版を行った。この出版によって術語が確立され、学問的基礎知識導入の大きな役割を果たした。[彌吉光長]
『桑原武夫編『フランス百科全書の研究』(1954・岩波書店) ▽福鎌達夫著『明治初期百科全書の研究』(1968・風間書房) ▽J・プルースト著、平岡昇・市川慎一訳『百科全書』(1979・岩波書店) ▽F・ヴェントゥーリ著、大津真作訳『百科全書の起源』(1979・法政大学出版局) ▽中川久定著『啓蒙の世紀の光のもとで――ディドロと『百科全書』(1994・岩波書店) ▽寺田元一著『「編集知」の世紀――一八世紀フランスにおける「市民的公共圏」と「百科全書」』(2003・日本評論社) ▽ディドロ、ダランベール編、桑原武夫編訳『百科全書――序論および代表項目』(岩波文庫)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の百科全書の言及

【アンシクロペディスト】より

…フランスの《百科全書》(1751‐80)の執筆,刊行に参加したフランス啓蒙思想家の集団。百科全書派と訳される。…

【技術史】より

…ベーコンの重要な点は,他の学問と違って〈機械的技術においては,最初の考案はごくわずかなことしかなしとげず,時がこれにつけたして完成する〉として,技術の進歩が蓄積的で改良・洗練されていくものであることに注目したことと,〈技術史(誌)の効用はすべての歴史(誌)のうちで自然哲学のために最も根本的で基本的なものである〉として技術史(誌)の研究を提唱した(1605)ことである。これを受けた技術誌は18世紀フランスの《百科全書》で実現された。〈学問・技芸・工芸の(des sciences,des arts et des métiers)合理的事典〉という副題はその内容をよく示している。…

【自然誌】より

…これらの自然研究はそれまでの学問体系(自由七科)になかったもので,これを受けてF.ベーコンは技術誌を含めた自然誌を新しい学問体系の冒頭に位置づけた。ベーコン自身は膨大な自然誌の草稿を残したが個人では完成できず,その夢は18世紀フランスの《百科全書》で実現した。同じころパリ王立植物園長だったビュフォンが36巻におよぶ《博物誌》を刊行,進化思想で系統づけた自然誌を出した。…

【ダランベール】より

…49年《歳差に関する研究》ではニュートンが解決できなかった問題の数学的解決を示した。 他方,1746年からディドロと協力して《百科全書》の編集にたずさわり,第1巻(1751)冒頭に〈百科全書序論〉を発表。このほか,数学・自然科学分野を中心とする多数の項目を寄稿した。…

【ディドロ】より

…彼はそこでプラトンの《ソクラテスの弁明》を仏訳し(生前未刊),この翻訳を通して自己の信念を裏切ることなく平然と処刑されたソクラテスへの崇敬を暗黙裏に表明している。釈放されたディドロは,《百科全書》の編集責任者として,編集方針の確定,執筆者への依頼,原稿の検討,校正,政府との交渉などの仕事に没頭,諸分野にわたる学者,技術者の開かれた協働により,政府内部の分裂・対立を巧みに利用しながら反動派の攻撃と粘り強く戦い,ついに大事業に成功した。 《百科全書》編集のかたわら彼のペンは文学に向かう。…

【ドルバック】より

…ライデン大学で自然科学を学び,パリに戻ると,まだ無名の知識人ディドロ,グリム,ルソーたちと交友。ディドロ,ダランベール編集の《百科全書》には,化学,地質学など多数の項目を寄稿した。彼のパリの屋敷と近郊の別荘は,百科全書派の集会所であった。…

【パリ】より

…街路名が四つ辻に掲げられるようになるのが1728年,一般の家屋に番地が付けられるのが79年,街路と街区はこのようにして管理されるようになる。
[公衆衛生と《百科全書》]
 しかし18世紀の人口はさらに増大し,60万~70万と推定されている。新しい街区の建設も進んだが,老朽化した家屋,不完全な下水道や街路の状態など,パリの衛生状態が医学の問題としても取り上げられるようになった。…

【百科事典】より

…近代的事典の筆頭としては,イギリスのE.チェンバーズの《百科事典Cyclopaedia》2巻(1728)がある。これに範をとり,当初はそのフランス語訳作成の目的で開始された作業は,ディドロ,ダランベールらの手による《百科全書》に結実した。全28巻からなるこの事典は,ディドロによる序文にみられるように,明確な方法意識によって編集されている。…

【ブロンデル】より

…とりわけ後者は建築アカデミー教授としての講義を編纂した議義録で,若い世代に著しい影響を与えた。またディドロらとも交わり,《百科全書》の,〈建築〉〈建築家〉をはじめとする建築関係の項を担当している。彼の門下には,ルドゥーやブロンニャールA.T.Brongniartなどルイ16世時代から革命期にかけて活躍した建築家が数多く集まり,18世紀後半のフランス建築の流れを形づくるうえでもっとも重要な役割を果たした。…

【マルゼルブ】より

…租税については割当上の不正や浪費に断固反対して正義感を示し,出版については革新的であってもそれほど危険でないと判断される本により多く暗黙の許可を与え,検閲制度を緩和している。また,私的には啓蒙思想家と《百科全書》を保護するようになり,言論の自由に賛意を表明し,受けた教育とは異なって王政内では進歩派となった。しかし,このような態度は反動的な大法官モープーに危険視され,71年追放処分をうけた。…

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