改訂新版 世界大百科事典 「方志敏」の意味・わかりやすい解説 方志敏 (ほうしびん)Fāng Zhì mǐn生没年:1900-35 中国共産党の初期の指導者。江西省弋陽(よくよう)の人。1924年入党し故郷の江西省東北部地区で農民運動を指導した。28年5月弋陽,横峰両県でソビエトを樹立,33年の最盛期には20余県を支配する贛(かん)東北ソビエト政府主席兼紅軍第10軍団政治委員となった。1934年夏,中共中央は紅軍の一部を北上抗日先遣隊として派遣した。方志敏は第7・第10両軍団をひきいて北上したが,35年1月安徽南部の懐玉山で国府軍の重囲におちて捕らえられ,同年7月南昌で銃殺された。執筆者:宍戸 寛 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「方志敏」の意味・わかりやすい解説 方志敏ほうしびん(1900―1935) 中国共産党の指導者。江西省弋陽(よくよう)県の人。江西省における初期農民運動を指導した。1927年国共分裂後、江西省北東部を中心にソビエト区、紅軍第10軍を創設、ソビエト区建設の範となり、中華ソビエト共和国政府の中央執行委員となった。1934年の長征にあたって、北上抗日先遣隊の党代表として、本隊の西遷を擁護、転戦するうちに国民党軍に捕らえられ、南昌(なんしょう)に回送、銃殺された。[遠藤節昭][参照項目] | 中華ソビエト共和国 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by