於曾郷(読み)おぞごう

日本歴史地名大系 「於曾郷」の解説

於曾郷
おぞごう

しお川流域の現上於曾・下於曾一帯に比定される。「和名抄」記載の山梨東郡於曾郷を継承したとみられる。隠曾・尾曾・小曾とも書く。古代豪族三枝氏の系譜を引くとみられる三枝守継が当地に拠って於曾(隠曾)氏を称したという。平安時代末期に甲斐源氏の一族加賀美遠光の四男光経がこの地に拠って於曾氏を称した(「甲斐国志」など)於曾屋敷跡はその館跡とされている。文和二年(一三五三)八月二三日には「於曾郷内七段屋敷一宇三段上方惣領分四段屋敷一宇下方」が加賀美彦九郎信泰女子香阿から一蓮いちれん寺に寄進された(貞治三年二月一五日「一蓮寺寺領目録」一蓮寺文書)。「一蓮寺過去帳」には永享一一年(一四三九)頃と推定される一一月二七日供養の眼阿弥陀仏、文明元年(一四六九)頃の園阿弥陀仏などに於曾の注記がある。一方、至徳四年(一三八七)成立の「塩山抜隊和尚語録」には「甲州路於曾県」居住の前備前太守華叟性曇禅門の一周忌が行われたとある。


於曾郷
おぞごう

「和名抄」東急本・高山寺本とも訓を欠く。山梨東郡の一つで、ほぼ現在の塩山市一帯を郷域としていたと推定され、同市上於曾・下於曾に郷名をとどめる。同市熊野くまの西田にしだから西広門田かわだにかけて所在する西田遺跡は、古墳時代前期の集落として山梨県最大規模の重要遺跡であり、当郷の範囲内に含まれる。古代には山梨郡に勢力を張った三枝氏の分流於曾(隠曾)氏がこの地に拠ったが(「三枝系図」大善寺蔵)、鎌倉時代の初め甲斐源氏の加賀美遠光の四男光経がこの地に進出して、於曾氏を名乗った(甲斐国志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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