日本歴史地名大系 「日ノ出塁跡」の解説 日ノ出塁跡ひのでるいあと 山梨県:韮崎市三之蔵村日ノ出塁跡[現在地名]韮崎市穂坂町三之蔵茅(かや)ヶ岳山麓西端、塩(しお)川によって浸食された標高約四五〇メートルの断崖上にあり、日之出(ひので)城・日の出(ひので)砦・鷹(たか)ノ巣(す)城・絵見堂山(えみどうやま)ノ塁ともいう。跡地は現在畑地となり、とりで・牛(うし)ヶ馬場(ばば)などの地名が残るが、城郭としての遺構は明瞭ではなく、中央自動車道が部分的に走り抜けている。当塁の根古屋集落といわれる日之城(ひのしろ)の集落が、当地の東方、塩(しお)川に流れ込む三之蔵(さんのくら)沢側の崖下に形成されている。応永―永享年中(一三九四―一四四一)日一揆が拠った塁と伝え、塁名や根古屋日之城の名称はそのことに由来するという(「甲斐国志」など)。日一揆は日の丸を旗印にしたことからその名がついたといい、武田信長と結んで、守護代跡部氏や同氏と結ぶ輪宝一揆勢と抗争を繰返した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by