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日乾 にちけん

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美術人名辞典の解説

日乾

安土桃山・江戸前期の日蓮宗の僧。久遠寺二十一世。若狭小浜生。字は孝順、号は寂照院、姓は塚本。小浜長源寺日欽について出家、京都に上り、本満寺日重に学び、天台三大部を講究。のち日重に代わり身延山に上り、後陽成天皇から紫衣を賜った。寛永12年(1635)寂、76才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

日乾 にちけん

1560-1635 織豊-江戸時代前期の僧。
永禄(えいろく)3年生まれ。日蓮宗。京都本満寺の日重に師事。本満寺13世をへて慶長7年身延山久遠寺21世となる。京都鷹峰(たかがみね)に檀林(だんりん)をひらき,また江戸城での不受不施派との対論(身池対論)に出席して勝利した。寛永12年10月27日死去。76歳。若狭(わかさ)(福井県)出身。俗姓は塚本。字(あざな)は考順。号は寂照院。著作に「宗門綱格」「破奥記」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

にっけん【日乾】

1560‐1635(永禄3‐寛永12)
安土桃山末期・江戸初期の日蓮宗の僧。若狭国(福井県)小浜に生まれた。俗姓は塚本氏,寂照院と号する。10歳で父を失い,故郷長源寺日欽に就いて出家。日欽の没後,上洛して本満寺日重に師事した。内外の学を修め,1588年(天正16)日重の譲りを受けて本満寺8世を継承した。1602年(慶長7)後陽成天皇の下問に応じて《宗門綱格》を上書し,本宗の宗旨を明らかにした。請われて身延山久遠(くおん)寺21世も務め,そのおり,立正会竪義(りゆうぎ)の式を整えた。

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世界大百科事典内の日乾の言及

【久遠寺】より

…こうして,日朝ら3人は身延中興の三師と呼ばれる。近世初頭には,関西の六条本国寺門流の日重が貫首に招かれたが,日重は弟子日乾(につけん)を推した。日乾に次いで同門の日遠(にちおん)も貫首に就任,関西門流の東国進出を果たした。…

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