日仏尼(読み)にちぶつに

朝日日本歴史人物事典 「日仏尼」の解説

日仏尼

没年正安1.8.22(1299.9.17)
生年寛喜3(1231)
鎌倉時代の日蓮宗信者。字は妙了。甲斐国(山梨県)巨摩郡の人。文永11(1274)年日蓮の身延入山のとき栗飯を供養して弟子となったため「栗冠の姨」と呼ばれ,下の坊を建てて日蓮に常時給仕した。弘安2(1279)年,難産のすえ男子を出生し,日蓮によって是好麻呂と名付けられた。日蓮没後,甲斐に帰って,長じて出家した息子の中道院日了と共に廃寺の妙竜寺を復興し,日了を開山として妙了寺と号した。妙了寺は,日仏尼の出産伝承によって安産祈願の寺となっている。<参考文献>日潮『本化別頭仏祖統紀』

(西口順子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日仏尼」の解説

日仏尼 にちぶつに

1231-1299 鎌倉時代の尼僧
寛喜(かんぎ)3年生まれ。日蓮宗。日蓮の身延入山の際,粟(あわ)飯を供養して弟子となり,粟冠(さっか)の姨(うば)とよばれた。下之坊を創建して日蓮につかえ,日蓮の死後,わが子の日了とともに郷里の甲斐(かい)(山梨県)に妙了寺をひらいた。正安(しょうあん)元年8月22日死去。69歳。字(あざな)は妙了。

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