日本歴史地名大系 「日向国絵図」の解説 日向国絵図(天保国絵図)ひゆうがのくにえず 一枚成立 天保九年原本 国立公文書館内閣文庫解説 幕府は正保・元禄の場合と異なって先に郷帳改訂の命を下し、それが完成した天保六年に初めて国絵図の作製を命じた。三年を費やして同九年に正本八三鋪が完成した。極彩色大和絵風の精密な描法を用い、道路・河川・境界なども明確で、一里を六寸とする縮尺で楕円形の枠に村名と石高を記入し、郡ごとに異なる色彩を加えて郡界を識別しやすいよう配慮されている。内閣文庫には二種の日向国絵図の原本が所蔵されており、旧勘定所本は四一九×七〇八センチ、紅葉山文庫本は四一八×七〇九センチ。 日向国絵図(元禄国絵図)ひゆうがのくにえず 一枚 四二三×七二六センチ成立 元禄一五年原本 国立公文書館内閣文庫解説 元禄一五年八月、郷帳とともに幕府に提出された国絵図。絵図の改訂は当初鹿児島藩主島津綱貴と飫肥藩主伊東祐実が相持で作製し、清絵図を島津綱貴が受持つことになっていたが、鹿児島藩では正保国絵図調製の先例を主張して島津綱貴が単独絵図元と変更された。平成九年鹿児島県教育委員会から、元禄一五年の薩摩国絵図・大隅国絵図とともに原色版で刊行された(解説書付)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by