日本歴史地名大系 「日宇」の解説 日宇ひう 長崎県:佐世保市日宇中世にみえる彼杵(そのき)庄内の地名。元弘三年(一三三三)三月二一日の千松寺住持重済寄進状(東寺百合文書)に「彼杵庄日宇村」とみえ、当村地頭の兵庫助平幸純の先祖が草創したという千松(せんしよう)寺が廃絶のおそれがあるとして京都東寺に寄進されている。この「彼杵庄日宇村内千松寺寄進状」については、南北朝期の東寺廿一口方文書目録(同文書)にも記載されている。当地名を名字の地とする日宇氏がおり、鎌倉末期には彼杵庄大村一分領主として日宇小次郎入道がみえ、年貢未進により同庄雑掌に訴えられている(元応二年某月二七日「東福寺領肥前国彼杵庄文書目録案」東福寺文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by