日本歴史地名大系 「日岡山古墳群」の解説 日岡山古墳群ひおかやまこふんぐん 兵庫県:加古川市旧加古郡地区大野村日岡山古墳群[現在地名]加古川市加古川町大野印南野(いなみの)台地の北縁が加古川の河岸近くまで迫った日岡山には、日岡陵(ひおかりよう)・西大塚(にしおおつか)・南大塚・北大塚・勅使塚(ちよくしづか)の五基の前方後円墳が現存する。そのほか墳丘は変形しているが古墳時代前・中期とみられる径約三〇メートルの円墳三基があり、また公園の造成で大半が消滅した後期の群集墳が分布していた。このように長い年代にわたる多くの古墳が径約六〇〇メートルの比較的狭い範囲に密集している。北東約二キロの西条(さいじよう)古墳群とともに県南部最大の古墳群。〔日岡陵古墳〕日岡古墳群の北端、日岡山頂の標高五九・九メートルに位置する。日岡山古墳群では最も古く四世紀代と推定される。宮内庁によって陵墓参考地に指定され、景行天皇の皇后稲日大郎姫命陵とされている。褶(ひれ)墓の別称をもつが、それは「播磨国風土記」賀古(かこ)郡の条によると播磨の地で没した皇后を日岡に葬るため、遺骸を船に載せ加古川を渡ろうとしたとき、つむじ風が吹いて遺骸は川の中に没し、匣と褶だけが残りそれを墓に葬ったことによるとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by