日本歴史地名大系 「日暮里延命院貝塚」の解説 日暮里延命院貝塚につぽりえんめいいんかいづか 東京都:荒川区新堀村日暮里延命院貝塚[現在地名]荒川区西日暮里三丁目上野公園から谷中、道灌(どうかん)山を経て飛鳥(あすか)山に続く細長い上野台地のもっとも狭まった部分の西側で、不忍(しのばず)池に連なる谷田(やた)川(藍染川)の谷に面して形成された縄文時代後期前葉の貝塚。すぐ上の台地側に日蓮宗延命院があり、延命院貝塚と命名された。明治二一年(一八八八)東京帝室博物館に勤務していた関保之助が延命院の崖下の土取り工事現場で貝塚を発見して、翌年「東京人類学会雑誌」に報告した。貝層の厚さは一尺から三―四尺に及ぶ堆積であったという。関はその後も遺物採取に努め、出土した堀之内式土器を報告したが、大正年間にはその貝塚も土取りで消滅したと考えられていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報