日野宿(読み)ひのしゆく

日本歴史地名大系 「日野宿」の解説

日野宿
ひのしゆく

甲州道中の宿。内藤新宿を第一宿とし、第四宿の府中宿に続く第五宿。日野宿の成立の時期は明らかではないが、元禄一六年(一七〇三)の挨拶目録(佐藤信行家文書)によれば、美濃国から永禄年間(一五五八―七〇)に移住してきた佐藤隼人が、北条氏照から罪人労力を提供されて同一〇年に日野用水を開削したと伝える。また元亀元年(一五七〇)に氏照が日野の屋敷割帳を作成したことが記される。さらに慶長一〇年(一六〇五)大久保長安が日野を継場に取立てたとあり、このとき甲州道中の宿場に取立てられたと思われる。貞享元年(一六八四)それまで日野町とよばれていたものが「日野宿」と称されるようになり、街道も下流万願寺まんがんじ渡から上流日野渡を渡る道に付替えられ(「日野氏記録抜書」日野家文書)、日野宿は甲州道中の宿場としての姿を整えていく。

宿村大概帳によると江戸から九里二六町余、府中宿から二里、横山よこやま宿(八王子宿)へは一里二七町四八間、脇往還である岩槻道の小川おがわ新田(現小平市)へは二里。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の日野宿の言及

【日野[市]】より

…南部の多摩丘陵は都立自然公園に指定され,多摩動物公園,百草園,高幡不動などを中心に都民の行楽地として親しまれている。【井内 昇】
[日野宿]
 日野宿は内藤新宿から7里26丁(30km余),東の府中宿へ2里,西の横山宿(現,八王子市)へ1里27丁48間で,府中宿,横山宿のほか脇往還岩槻道の小川新田(2里)への継立ても負担していた。町並みは幕末には9丁続いていた。…

※「日野宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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