日本歴史地名大系 「日鼓城跡」の解説 日鼓城跡ひづつみじようあと 佐賀県:武雄市川古村日鼓城跡[現在地名]武雄市若木町川古標高七六三・六メートルの八幡(はちまん)岳と標高五一八メートルの眉(まゆ)山が寄り添うように山裾を合わせる地点の台地上にある。一名椎葉(しいば)城ともいわれ、橘薩摩氏の一族備後守公泰の築城と伝えられる。橘薩摩氏一三代渋江公勢が明応年間(一四九二―一五〇一)に城域を拡張して居城としたという。東に深さ五メートルの空堀を設け、北西南の三方に山が迫っていて自然の要害であるが、建物については資料を欠き不明である。公勢は橘薩摩氏の中興の祖で失地を回復し、近隣の領主たちを征服した。伝承によると、大永七年(一五二七)公勢はその子公政とともに毒入りの葛湯をあやまって飲み落命。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by