早崎(読み)はやざき

日本歴史地名大系 「早崎」の解説

早崎
はやざき

竹生ちくぶ島のほぼ真東に位置した湖岸集落竹生島領で、古くより竹生島と湖西とを結ぶ船の着岸地となっていた。「輿地志略」によれば島まで五〇町で、浅井(朝日崎)、浅井の岡(朝日の岡)とも称したという。竹生島との結びつきが強く建久三年(一一九二)一一月の権律師実遍文書紛失状案(菅浦文書)には「権現祭礼之遊行所」と記されている。弘安七年(一二八四)には浅井郡守護代が乱入、「身代以下銭貨」を押取ったとして「竹生嶋寺僧」が幕府に訴えているが(同年一二月二二日「六波羅御教書案」竹生島文書、以下断りのないものは同文書)、その結果は定かではない。なお村内には豊久名田が散在しており、元亨二年(一三二二)の相論では竹生島衆徒が勝訴、延文三年(一三五八)に一六町余の田地が入交じっているとの訴えが出た際にもこれを全面的に否定している(同年一一月日竹生島衆徒等目安案)

早崎
はやさき

[現在地名]口之津町早崎名

早崎瀬戸(幅約五キロ)に突き出た早崎半島の一帯をいう。加美かみはま野向のむきの三地区からなる。中央部の烽火ほうか(八八メートル)は延喜一七年(九一七)に置かれた肥前国二〇ヵ所の烽の一つといわれ、積石で構築したとみられる烽火台跡がある。当地の南の海域は北西方のたちばな湾、北東方の島原湾や有明海に通じる瀬戸であるが、潮流が激しく、浅瀬が多いため船の難所として知られ、「千々石灘早崎」は西国第一の荒潮の海で(天草備考)、日本三瀬戸ともいう(薩陽往返記事)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の早崎の言及

【寄島[町]】より

…江戸時代には鴨方藩の外港として発展したが,陸上交通の発達とともに港町としての機能は消失した。しかし漁業は現在も行われ,中心集落の早崎や東部の安倉(あくら)がその基地である。漁家の副業として発達した麦稈真田(ばつかんさなだ)によるバンコク帽や麦わらストローの生産は衰微したが,代わってポリプロピレン製すだれなどの生産は現在でも盛んである。…

※「早崎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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