早川田河岸(読み)さがわだかし

日本歴史地名大系 「早川田河岸」の解説

早川田河岸
さがわだかし

[現在地名]館林市下早川田町

館林城下の北約一里のところにあった日光脇往還(現主要地方道佐野―行田線)の渡良瀬川の河岸。左岸の字島(しま)ノ内(うち)、右岸の字道上(みちうえ)・道下におよび、あわせて河岸耕地(かしこうち)という。起源については明らかでないが、寛永(一六二四―四四)頃から存在したともされる。元禄三年(一六九〇)の幕府廻米津出河岸之道法并運賃書付(徳川禁令考)に早川田河岸の名がみえ、江戸より川通三〇里、運賃米一〇〇石につき三石二斗とある。安政二年(一八五五)の「封内経界図誌」にみえる船積問屋一軒は右岸の字道下にあった問屋内田市郎右衛門をさす。あと一軒の問屋、左岸の原市は明治に入ってから佐野(さの)(現栃木県佐野市)方面の物資を取扱うため原市五郎が始めたものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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