日本歴史地名大系 「早稲田村」の解説 早稲田村わせだむら 長野県:下伊那郡阿南町早稲田村[現在地名]阿南町西条(にしじよう) 早稲田遠州往還沿いに位置。北は千木(ちぎ)村・井戸(いど)村・田上吉田(たがみよしだ)村、東は深見(ふかみ)村・小野(おの)村・平久大窪(ひらくおおくぼ)村、南は和知野(わちの)村、西は田上吉田村・和合(わごう)村に接する。大永五年(一五二五)関氏の所領となり、天文一三年(一五四四)下条領、天正一五年(一五八七)飯田城代菅沼氏預り所、同一九年京極氏知行所、慶長六年(一六〇一)小笠原氏預り所、元和三年(一六一七)脇坂領、天和元年(一六八一)美濃高須藩松平氏の飛領地となる(長野県町村誌)。 早稲田村わせだむら 新潟県:岩船郡朝日村早稲田村[現在地名]朝日村早稲田東を大須戸(おおすど)川が南へ流れ、高根(たかね)川と合流する。北は松岡(まつおか)村、南西は板屋越(いたやごし)村に接する。南北に通る出羽街道沿いに集落があり、高根川対岸の関口(せきぐち)村にわたる分岐点に位置する。文禄(一五九二―九六)頃の瀬波郡絵図には「大国但馬分わさ田村 上」とみえ、本納九二石七升・縄高二九一石六斗四升六合、家三軒とある。近世は初め村上藩領となり、のち幕府領、幕末には米沢藩預所。 早稲田村わせだむら 東京都:新宿区旧牛込区地区早稲田村[現在地名]新宿区早稲田鶴巻町(わせだつるまきちよう)など中里(なかざと)村の西に位置し、南は牛込早稲田町・同榎(えのき)町、北は関口(せきぐち)村・関口水道(せきぐちすいどう)町(現文京区)。牛込村から分れた村であるが、分村の時期は不明。正保三年(一六四六)牛込済松(さいしよう)寺領となる。旧高旧領取調帳では九七石余、済松寺領。村内のうち、のちに町場となった地は牛込早稲田町として分離した。化政期の家数二〇。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by