日本歴史地名大系 「昌平坂学問所跡」の解説 昌平坂学問所跡しようへいざかがくもんしよあと 東京都:文京区旧本郷区地区湯島二丁目昌平坂学問所跡[現在地名]文京区湯島一丁目寛政改革の一環として湯島聖堂に併設された幕府直轄の教育機関。正式には学問所といい、昌平黌ともいった。上野忍ヶ岡(しのぶがおか)以来、大学頭林家は家塾で儒学(朱子学)の講義を行っており、聖堂の当地移転後は一般人を対象に仰高門(ぎようこうもん)東舎での経書講釈も始めていたが、幕府は寛政二年(一七九〇)教学伸張の令(寛政異学の禁)を発して朱子学を正学とし、合せて学問所を幕府直轄とし、その充実を図った。柴野栗山・岡田寒泉・尾藤二洲らが儒官に登用され、同四年に教官官舎・講舎が竣工、講義を始めている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by