星岡村(読み)ほしのおかむら

日本歴史地名大系 「星岡村」の解説

星岡村
ほしのおかむら

[現在地名]松山市星岡町ほしおかまち

松山平野の南平坦部に位置する農村。東は北久米きたくめ村、西は尼山あまやま村・石井いしい村、南は越智おち村・今在家いまざいけ村、北は尼山村に接する。村の北部に分離丘陵の星岡山(七五メートル)があり、その麓を小野おの川が流れている。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)久米郡の項に「星岡村 松林有」とある。

古代には、久米郡天山あまやま郷に属したと考えられる。

鎌倉時代には豪族河野氏の統治下にあった。元弘の乱(一三三一―三三)が起こると浮穴うけな井門いど土居どい(星岡の南一キロ半)本拠とする土居通増は宗家河野氏と行動をともにせず、得能通綱・忽那重清らと結んで後醍醐天皇に応じ、幕府与党の掃討に東奔西走した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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