朝日日本歴史人物事典 「得能通綱」の解説
得能通綱
生年:生年不詳
鎌倉・南北朝時代の武将。通村の子。通称又太郎。得能氏は伊予国(愛媛県)の豪族河野氏の支流で,同国桑村郡得能(周桑郡丹原町)を本拠とした。正慶2/元弘3(1333)年,後醍醐天皇方として伊予国で挙兵し,幕府方の軍と戦う。その後,同族土居通増と共に海路東上して新田義貞軍に属し,建武3/延元1(1336)年2月には摂津国打出浜(兵庫県芦屋市)で,同年5月には湊川(神戸市)で足利軍と戦った。さらに同年10月には恒良親王を擁して北陸に下る新田義貞軍と行動を共にするが,翌年3月,越前国金崎城(福井県敦賀市)で斯波高経らの攻撃を受けて戦死した。
(山内譲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報