日本大百科全書(ニッポニカ) 「春日信仰」の意味・わかりやすい解説
春日信仰
かすがしんこう
春日大社の祭神(春日大明神(だいみょうじん))に対する信仰。春日大社の創建は、藤原氏の氏神として、常陸(ひたち)(茨城県)鹿島(かしま)の神を迎えたのに始まり、原初的には、祖先崇敬を基盤とした信仰といえる。のち神仏習合思想の発展のなかで、興福寺は、春日大明神を法相(ほっそう)擁護の神であると説き、慈悲万行菩薩(じひまんぎょうぼさつ)の仏称が捧(ささ)げられたりした。やがて春日大明神の霊験(れいげん)や縁起(えんぎ)が説かれるようになり、春日大社第四殿の比売神(ひめかみ)が伊勢(いせ)大神とされ、第三殿の天児屋根命(あめのこやねのみこと)と天照大御神(あまてらすおおみかみ)の関係が説かれるなどして、伊勢信仰との関連が生じた。治承(じしょう)(1177~81)の式年造営のころより、藤原氏を中心に春日御神影(ごしんえい)や春日曼荼羅(まんだら)を本尊とする春日祭祀(さいし)が行われ、伊勢、八幡(はちまん)信仰とともに三社信仰の展開をみた。この信仰は、三社託宣の流布により広く庶民の間にまでも浸透していった。伊勢の正直、八幡の清浄とともに、春日の神徳は慈悲として説かれた。また、『春日権現霊験記(ごんげんれいげんき)』などによって、春日信仰が絵や文字に表現され、とくに強調された慈悲の信仰は、文化の多方面に影響を与えてきた。
[落合偉洲]