春澄善縄(読み)はるずみのよしただ

改訂新版 世界大百科事典 「春澄善縄」の意味・わかりやすい解説

春澄善縄 (はるずみのよしただ)
生没年:797-870(延暦16-貞観12)

平安前期の学者本姓猪名部造。もと伊勢国員弁郡の人。卑氏族で祖父は同郡少領,父は周防大目で終わる。大学寮を経て官に就き,恒貞親王東宮学士となり,承和の変に連座して周防権守に左遷されたが,翌年には文章博士に任ぜられ,のち式部大輔等を経て,参議従三位に至る。《続日本後紀》の編纂に参与し,仁明文徳天皇に講書,〈在朝の通儒〉と称される。恬淡とした人柄で学者間の対立抗争にもかかわりを持たなかった。《経国集》《本朝文粋》に詩文が残る。
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朝日日本歴史人物事典 「春澄善縄」の解説

春澄善縄

没年:貞観12.2.19(870.3.24)
生年延暦16(797)
平安前期の学者。猪名部造豊雄の子。伊勢国員弁郡(三重県員弁郡,桑名市の一部)の出身。字は名達。天長5(828)年,兄弟姉妹と共に春澄に改姓承和の変(842)では,東宮学士であった関係から,恒貞親王廃太子にともない周防権守に左遷された。のち許されて帰京,文章博士を経て貞観2(860)年参議となり,同12年,藤原良房と共に『続日本後紀』を完成,従三位に昇った。謙虚な人柄で,人をそしることも,また他人から悪くいわれることもなかったという。祖父の財麿が早くからその天才ぶりを見抜き,財産を投じて養育したといい,その文章は老いてますますみがきがかかったと伝える。しかし子供4人のだれも家業を継がず,善縄1代で終わった。

(瀧浪貞子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「春澄善縄」の解説

春澄善縄 はるずみの-よしただ

797-870 平安時代前期の公卿(くぎょう),学者。
延暦(えんりゃく)16年生まれ。恒貞(つねさだ)親王の東宮学士をへて,承和(じょうわ)10年文章(もんじょう)博士。のち参議,式部大輔(たいふ)となり従三位にすすむ。藤原良房と「続(しょく)日本後紀」を完成した。貞観(じょうがん)12年2月19日死去。74歳。伊勢(いせ)(三重県)出身。本姓は猪名部(いなべ)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の春澄善縄の言及

【多重通信】より

… 以上は,PAM信号による時分割多重化の考え方であるが,他のパルス変調方式を用いた多重化も可能である。実用的に重要な方式は,パルス符号変調pulse code modulation(PCM)された信号による時分割多重通信である。PCM方式は,信号の標本値(PAM信号)を一定桁数の二進数で表し,各桁の数値(0あるいは1)を順次伝送する方式であって,具体的には,1,0をパルスの有無として伝送するのがふつうである。…

【多重通信】より

… 以上は,PAM信号による時分割多重化の考え方であるが,他のパルス変調方式を用いた多重化も可能である。実用的に重要な方式は,パルス符号変調pulse code modulation(PCM)された信号による時分割多重通信である。PCM方式は,信号の標本値(PAM信号)を一定桁数の二進数で表し,各桁の数値(0あるいは1)を順次伝送する方式であって,具体的には,1,0をパルスの有無として伝送するのがふつうである。…

【電気通信】より

…音声信号のような連続波形,つまりアナログ信号でも,これを電信のような1,0符号の系列,つまりディジタル信号に変換して伝送することができる。このような変換をパルス符号変調PCM(pulse code modulationの略)という。PCMの発想は1937年にリーブズAlec H.Reevesにより提案され,これにより安定で信頼性の高い通信が可能になることが知られていた。…

※「春澄善縄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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